組織のプロたちは、あえて“組織の定石”を無視した——MIMIGURI誕生の足跡
2021年3月15日、ミミクリデザインとDONGURIは合併し、株式会社MIMIGURIとしてスタートすると発表した。資本業務提携に伴う横断経営を発表したのが、2020年3月3日。わずか一年足らずで、両者は「一つのチーム」となる意思決定をした。
しかし、その実を聞くと「組織作りのプロ」がやるとは思えない話が聞こえてきた。
「合併へ向かうには、ホールディングス化を経て段階的に」が定石にも関わらず、資本業務提携から一年足らずで、一切の段階を踏まずに合併を選んだ。
「社名にはみんなが納得できる意味を持たせる」のが一般的にもかかわらず、新社名MIMIGURIは、あえて“意味”をもたない言葉を選んだ。
「共同代表の場合は、株式の持ち分に差をつける」のが定説にもかかわらず、持ち分はあえて半々にした。
なぜ、組織や経営に明るいはずの彼らは、こうも“いわゆる正解”から外れた判断を重ねたのだろう。その理由と経緯を、MIMIGURI共同代表 Co-CEO安斎勇樹氏、ミナベトモミ氏に伺った。
『なんでホールディングスなんだ』『もう合併でよくない?』
左:安斎氏、右:ミナベ氏
横断経営から一年での合併、しかもホールディングス化などの段階的変化もなし。
この事実だけを見ると、合併は横断経営時からの“既定路線”だったようにも見受けられる。取材冒頭そう問いかけると、そこまでの経緯を含め丁寧に紐解いてくれた。
ミナベ「そもそも横断経営は僕から安斎に提案したんです。そして、たしかに提案したプランの中には、横断経営の他に合併も含まれていました。ただ、提案を考える段階から落とし所は“横断経営”だろうと。ミミクリもDONGURIも集団として意味を大切にする組織だからこそ、すぐにそこへ向かうことはないと考えていたんです」
安斎「当時提案された側としては、正直驚きしかなかったです(笑)。当然ながら合併なんて考えてもいなかったので、そのときはじめて『そういう選択肢もあるのか』と思ったくらい。そこを“目指す”意識はなかったですね。
かつ、ミミクリは僕が旗を振るというよりは、メンバーが何を面白がるのかを観察し、それぞれの衝動を大切にして『こっちに行くと楽しそうかな?』と組織を運営してきました。その方針を踏まえても、まずはDONGURIと一緒に動いたときにどう変化するのかを見てみたかったんです」
横断経営が始まってからは、メンバーの関係性の面でも、事業の面でも、想像以上に相性が良いと感じる機会が続いた。特に実感したのは、共同で立ち上げた新規事業『CULTIBASE』のローンチプロセスだ。
安斎「CULTIBASEは、元々『WORKSHOP DESIGN ACADEMIA』というミミクリの事業を母体にしているので、どうしてもミミクリ主導になると思っていたんです。ですが、実際に進めていくとクリエイティブはもちろん、さまざまなシーンでコラボレーションが生まれた。DONGURIがいることで、よりよいものが生まれる実感をはっきりと得たんです」
「思い返すと、あれが合併を意識し始めた小さな成功体験だったのかもしれない」——そう安斎氏は振り返る。ただ、二社の距離が縮まっている感触はあったとはいえ、合併へ向かうにはあまりにも早い。社内からどのような反応があるかも、当時はまだ未知数だった。
その後も対話を重ねた結果、両者は2020年10月の経営会議でマネージャー陣にはその意志を共有しようと考えた。ミナベ氏はこの場に向け、さまざまな事例を参照し、最適な合併プロセスを探った。丁寧にやるのであれば、やはり順を追うべき。ホールディングス化を経て、組織構造や制度を揃え、溶け合いやすく状況を作った後、「合併が自然だ」という空気を生んでいくほうがよい。定石に沿ったプランを立てた。
しかし、「ホールディングス化を考えている」と切り出すと、メンバーからは予想だにしない反応が返ってくる。
ミナベ「『なんでホールディングスなんだ』『もう合併でよくない?』という意見が次々と出てきたんです。現場の混乱を最小限にできるよう段階的にと考えたのですが、現場の意見はむしろその逆。僕ら二人が取り残される状態でした」
「早くない?」「大丈夫?」といった言葉が、頭の中には並んでいた。
安斎「当時はまだ、一緒に仕事をし始めて半年ほど。いきなりの合併は不安もあるだろうし、ハレーションも起きると考えていました。しかし、あるマネージャーには『やっとか』と言われるほど。完全に予想外でしたね」
一般的な「合併」は、トップの決定に対し組織をアジャストさせていく。対して、ミミクリ・DONGURIは、ボトムアップで組織に変化があり、そこへ構造を合わせる動きが求められたのだ。
現場の変化に、むしろ会社が追いついていなかった
両社の業務上の相性が抜群であることは間違いない。組織に対して構造からアプローチし、トップダウンでの変革を導く『組織デザイン』を得意とするDONGURI。対して、個々人の関係性からボトムアップに組織の変革を促す『組織開発』を得意とするミミクリデザイン。両者の職能や専門性は、補完関係にある。
ただ、「業務上の相性」は現場には関係ない。多くの合併は業務上相性が良いと判断されて行われる。しかし、現場がかみ合わない事例は少なくない。
では、なぜ両社はここまで溶け合えていたのか。その裏には二つの理由があったと二人は分析する。一つは、実務でも組織を手がける両社だからこその様々な組織施策だ。
安斎「そもそも、横断での組織開発にはかなり力を入れてきていたんです。横断経営が始まってすぐオフィスこそ同じ場所に移転しましたが、フロアは別々ですし、Slackも別。当初は名前も顔も知らない人ばかり。そのままではお互い“ミミクリさん”、“DONGURIさん”という距離感のある状態になりかねないと感じていました。
そこで、DONGURIの組織コンサルタント・熊本と、ミミクリの対話施策を得意とする和泉の二人を中心に、両者を横断した組織づくりに取り組んでもらったんです」
ミナベ「かなりの時間を割きましたね。マネージャー陣にも協力を求め、優先度もかなり高くおいてもらいました。かつ、スポットではなく継続的に取り組み、毎週何かしらの施策が動きつづけていました」
交流の面では「お互いを知るコミュニケーション機会」、情報共有の面では「業務上の情報共有機会」や「組織レイヤーでの情報共有」、長期視点では「キャリアや今後を考える機会」など次々と機会や施策を展開。
熊本氏、和泉氏は相互の定例の場にも参加し、DONGURI社内で行われていた会議をミミクリ側でも試してみたり、ミミクリの対話にしっかりと時間を使う会議進行をDONGURIでも取り入れてみたり、相互の文化の輸出入も行われた。
もう一つは、両社の組織文化だ。
安斎「双方のメンバーが持つ、他者への好奇心や学習姿勢、それにともなう対話的姿勢こそが最も大きな要因だったと感じています。異なる価値観や考えを持った人と出会うと『これはチャンス』と思い、対話し新たな気づきを得ることがみんな好きだし、関心がある。
確かに価値観が近い部分はあったかも知れませんが、ミクロに見れば考え方や仕事との向き合い方、進め方などで違いは膨大にあるはず。それを問題にせず、違いを見つけたときに対話を繰り返し、溶け合えてきたからではないかと思います」
CULTIBASEの記事の中で、“対話”は他者を理解するアプローチであると定義されている。
僕たちは、対話を『あるテーマや体験のお互い意味づけ、意図、感情、大切にしている価値観を探究的に語り合って、自分や他者をより理解するためのコミュニケーション』だと捉えています。
対話は互いを理解していくことが目的なので、相手は自分とは違う存在であることを前提に置いています。なので、対話において、意見の正誤、勝ち負けを決める、答えを見出す、決めるのは目的ではありません。
両社にはそこへの関心や前向きな姿勢をもつ面々が集まっていた。それと同時に、組織としても重視する文化が育まれていたのだろう。
ただ、ここでひとつの疑問がわいた。組織開発を仕事にするミミクリデザインであれば、これが日常化しているのにも納得がいく。ただDONGURIはどうだろう。そうミナベ氏に問いかけると「自分たち自身、DONGURIにあるものが対話文化だと再認識した」と説明してくれた。
ミナベ「DONGURIには、異なることを尊ぶカルチャーがあります。我々は多種多様な専門性を持った専門家がおり、その違いからお互い刺激を受け学び合う。違いが大きければ大きいほどDONGURIという場はさらに大きくなる。そう考えていました。
そして、その“異なること”をなじませ、場にいる共通の意味を見いだすプロセスの中で、自然と対話が生まれていたんです。なので、『俺らがやってたのは対話だったんだ』とメタ認知をしていった感覚でした」
つまり、両社は一年弱の時間をかけて、意識的/無意識的に、数多の「対話」を繰り返し、ボトムアップに異なる文化や考え方、業務プロセスなどを溶け合わせてきたのだろう。
その結果、「なぜ違う会社としてPLを分け、二重にコストを払い経営されているのか」という感覚が強まっていた。それが「やっとか」という言葉へつながったのだ。
意味を持たないからこその「MIMIGURI」
そうした文化を持つ両社だからこそ、社名をトップダウンに決めることはありえない。当然、全社を巻き込んで話が進められた。
安斎「まずは、マネージャー陣で合宿的にワークショップを行いました。事業的な軸足のCULTIBASEや、各社の世界観など、社名に関わる要素や軸を抽出。それを、DONGURIのコピーライター大久保に渡し、新社名案を複数出してもらいました。並行して社名決定の事務局を社内で公募。マネージャーに主導してもらい、ユニットごと大久保が出した案に対し、対話し考える時間を設けました」
ミナベ「その後は、オープンな社名決定のSlackチャネルを作り、そこで社名に対する会話を重ねるとともに、社名決定の方法を考えました。その後、さらにもう一度ワークショップをはさみ、ユニットごと“この社名がいい”というプレゼンを行い、アンケートを取ります。そのアンケート結果への意味づけをSlackでやり、それに対する対話の中で着地した流れですね」
その議論の中で決まったのがMIMIGURIだ。ただ、この名前は両社を共同で呼ぶ際の“愛称”として使われていた言葉。通称としては理解できるが、社名に掲げるほどの“意味”はない。なぜここへ収束したか。そう問うと、「意味がないからこそ」だと両者は答えた。
安斎「投票した背景や意味づけは一人ひとり違うと思いますが、“まだ意味を深く持ってない名前”だからこそ選ばれたんです。みんな『MIMIGURIって一体なんだろう』と話す時間が楽しくて、『社名をずっと考えていたい』と言っていました」
ミナベ「実は、DONGURIという社名にも同じ意図があったんです。先日の取材で、アメリカの化学者ハーバート・ブラウン氏の言葉が起源とお話しましたが、あの話もほぼ表に出していないですし、僕自身意味を持たせすぎたくなかった。
例えば、社名は“どんぐり”ではなく、“acorn”にもできます。でも、acornでは意味が強くなってしまう。他方で、“どんぐり”は、検索しても“ペンションどんぐり”や、“居酒屋どんぐり”など、さまざまな“どんぐり”が出てくる。でも、それがいい。使われすぎているからこそ、意味が固定化されないんです。
それが、社会から強い意味を持たれたり、社内の人にとって愛おしいものになったら、最高のデザインなんじゃないか。そう思いDONGURIにしたんです。MIMIGURIも全く同じ背景から選ばれた社名なんですよ」
安斎氏も最後は「MIMIGURIがいい」と感じていたという。ただ、そのプロセスでは別の案の可能性も考えていた。
安斎「実は、途中まではCULTIBASEがいいと思っていたんです。事業的にも注力していますし、様々なフェーズでストーリーテリングの中心に据え、会社の軸足になる。ことあるごとに『CULTIBASEがいいじゃん』とジャブを打ち続けていました(笑)。
実際、最終案にも残っていましたし票数も多かった。ですが、改めて考えるとCULTIBASEはポテンシャルが発露した形の一つでしかない。他方で、この社名を考えるプロセス自体がすごく価値があると思ったんです。自己解釈を繰り返し“我々は何者か”を様々な角度から考え続けることは、ミミクリの語源である見立て遊び的でもある。その意味でも、最後はMIMIGURIだと思っていました」
経営の定石をあえて踏み外す、“完全共同”の理由
こうした対話を重視する姿勢は、トップの二人の間にも強く根付いている。特にこの一年は、コロナの影響もあり会話を重ねざるを得ないシーンも少なくなかった。
ミナベ「当時、ミミクリはオフライン前提のワークショップを手がけていたのもあり、利害調整などシビアな部分を含めて、何度も対話をしました。ただ、結果を振り返ると、経営数値は前年より良かったんです。正直驚かされました。“対話を正しく重ねると、事業スピードは上がるんだ”と」
こうした姿勢は、合併後も「外せない要素」だと両者は考えた。それは経営体制にも表れている。冒頭でも触れた、“やるべきではない”と言われる、共同代表かつ株式の持ち分も半々という完全にフラットな関係性だ。
一般的には、両者の意見が割れると経営判断が遅れたり、トップの関係性が悪化すると会社の存続が危うくなるため、1%でも強弱をつけるべきといわれる。そういった「教科書的正解」は熟知した上で、あえて半々とする判断をした。
ミナベ「我々の場合、むしろその方が健全だと思ったんです。共同代表で株も50:50だと、対立が起こっても、対話・議論せざるを得ない。それに、たとえ二人の仲が悪くなって片方だけが生き残ったとしても、MIMIGURIというプロジェクトはそこで終わってしまうと思うんです。だからこそ、半々でしかるべきと考えました」
安斎「本当、その通りですね。意思決定の優位性がないからこそ、対話をし続けなければ、会社は前進させられない。一般論で“やめておけ”と言われる理由もよく分かるのですが、そういった状況のほうが、我々らしいと思っています」
50年以上変わらない組織の議論に、デザインを
組織として、大きく歩みを進めたMIMIGURI。彼らがこのタイミングで前へ進めたのは、組織だけにとどまらない。事業的にも光明が見えてきたという。その背景には、横断経営を発表したときに発表した、イノベーションが起こり続ける創造的な組織を図式化した”見取図” 『Creative Cultivation Model(CCM)』の深化がある。
安斎「CCMは、組織という複雑な生命システムの要素が、有機的につながっている理想状態を示しています。現代の組織論は、採用、育成、マーケティング、生産管理など、図書館の本棚のように区分けされ、各論的に分断されています。組織を局所的な処方箋で切り取ってしまうと、必ず近視眼的な二項対立に陥る。
組織に全体性を取り戻すためには、各論の足し算ではなく、有機的なアプローチが必要です。そんなふうに考えながら、この一年間、我々が得意とするデザイン、ファシリテーション、コンサルティング、マネジメントといった実践知を混ぜ合わせ、ひとつの方法論に編み直せないか。考え続けてきました」
MIMIGURIが手がけてきたプロジェクトを振り返ると、哲学やパーパスのような「目指す先」に立ち返りながら、定性・定量の両面からリサーチを通し組織の現状を理解。解くべき課題を見定め、様々な組織への介入を試行錯誤しながら解いてきていた。
また、組織には構造や数値で表しやすい「目に見える部分」と、人の内面や関係性といった「目に見えない部分」が存在する。問題の本質を見抜きし、組織に意味のある変化をもたらすには、その両面にアプローチする必要だった。
その手法として、調査であればエスノグラフィーやインタビューといった定性、組織構造や事業数値の分析といった定量がある。組織への介入では、目にみえるところでは、制度設計やクリエイティブ。目にみえない部分では、ワークショップやファシリテーションを通じた対話などを手がけてきた。
ミナベ「実際、直近で僕が手がけたプロジェクトでは、これを実践しています。たとえばクックパッドや、DeNAの組織支援ではこのプロセスに沿って進めました。特に、デザイン思考やUX、リーンスタートアップといった考え方に慣れ親しんだIT企業は相性が良いと感じています」
ミナベ氏はこれを、「デザイン的考え方」による整理だと表現する。
ミナベ「組織にデザイン思考を当てはめる感覚です。デザイン思考に端を発して、リーンスタートアップやUXなどの概念が浸透し、再現性を持ってアジャイルに事業開発をするのが当たり前になりました。それまでは優秀な事業推進の力を持つ人がいるかで成果が決まっていたのが、仕組みでカバーできるようになったんです。
一方の組織は、50年以上前から変わっておらず、上司との相性やフィードバック、コミュニケーションなどは属人的といわれてきました。我々は、そこにフレームワークを用いて再現性を出し、アジャイルに組織を変革していこうとしているんです」
MIMIGURIの理想像は、企業体にはない
他方で、MIMIGURI自身このCCMの実践者でもある。自分たちは、合併を経て実践を重ねる先に、どのような組織を目指していくのか。そう問いかけると、「難しい質問ですね」と少し時間をおき、こう言葉を続けた。
安斎「我々は何者になっていくのかと絶えずロールモデルは考えるんですが、既存の会社で“こういう会社”というのが正直見えていないんです。それこそIDEOか、あるいは組織デザイン界の任天堂か!?とも考えたのですが、一つの本質を表せるけど、一つの本質を表せない。社名を決めるときに、一つの意味を持った社名に落ち着かなかったプロセスに似ていて、まだ探索している最中なんです」
ただ、そこで会社という枠組みを外すと見える景色は大きく変わる。
ミナベ「あえて挙げるならば、バウハウスでしょうか。バウハウスは“全ての芸術の統合を目指す”を掲げ、当時世界中に存在したあらゆる芸術を学べる場を作りました。そして、当時存在した全ての芸術を統合すると、“建築”にたどり着くと考えていたんです。僕は『現代で、バウハウスのように"全ての統合"を目指すとどうなるか?』を、経営の中で常に考えてきました。そして、現状バウハウスの“建築”に該当すると考えるのが『CCM』なんです。
また、当時のバウハウスにはロシアアヴァンギャルド、デ・ステイル、青騎士など『世界中の芸術運動の担い手』が集まりながら、時には対立しつつも、対話を行い"思想"をアップデートしていました。それによって、バウハウスは単なる美術学校の域を超え、思想を提示し、社会に大きなうねりを起こす存在になった。
MIMIGURIも、異なる領域・思想の持ち主達をあえて同じ組織に同居させながら、対話を繰り返しています。その中で、社会に新しい価値観を提示できれば、現代のバウハウスとして『100年後の教科書』に残る組織になるかもしれない。そんな姿を目指していますね」
安斎「デザイナー、ファシリテーター、エンジニア、コンサルタント、研究者など、多様な領域の専門家集団でありながら、全員が"組織の知の統合"を目指している。分断された専門知をひとつに編み直すことは容易なことではありませんが、そこにMIMIGURIが合併した意味を見出し、挑戦していきたいです」
[文]小山和之[写真]今井駿介