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デザイナーではなく、デザインを探究し続ける“観測者”でありたい——DONGURIミナベトモミ

DeNA、ビズリーチ、クックパッド、エムスリーのデザイン組織やPdM組織推進。Wonde等のライフスタイルプロダクトの事業開発、FiNC等のサイトリニューアル……。ある「デザイナー」が率いる企業が支援したプロジェクトの一例である。

その企業の名は、DONGURI。創業者のミナベトモミ氏は、家電メーカーのプロダクトデザイナー、フリーランスを経て、DONGURIを設立。世界的なアワードでの受賞歴もありプレイヤーとしての成果も積み上げる一方、活躍のフィールドをデジタルから事業、そして組織へと拡張してきた。

しかし、ミナベ氏は決してトレンドに流されるがままに手を広げてきたわけではない。「デザインの知を探究し、デザインと社会の接合点を『観測』し続けたい」という想いを貫き続けてきた。デザインを「観測する」とは? そして、縦横無尽に領域を渡り歩いてきたミナベ氏が思い描く、デザインの未来とは?

ミナベトモミ(みなべ・ともみ)
DONGURI CEO / ミミクリデザイン COO
1983年生まれ。東京都出身。早稲田大学第一文学部ロシア語ロシア文化専修卒業(卒論はロシア構成主義タトリン)。家電メーカーでUIデザインを手掛けた後にデザインファーム DONGURIを創業。新規事業開発やブランド開発、組織立ち上げのコンサルティングまで手掛ける。兼業で同じく学術研究を元にファシリテーションを行う専門集団ミミクリデザインでCOOに参画し、デザイン方法論の研究を進める。

ロシア・アヴァンギャルドから学んだ、デザインの「社会性」

多くのデザイナーにとって、最大の関心事は「いかに良いアウトプットを生み出すか」であるはずだ。しかし、ミナベ氏は違う。彼がデザインする目的は、「観測」にある。

「デザイン」はどこからやって来たのか。社会からどのような影響を受け、何に対してどのような価値を発揮し、これからいかに変化していくのか──こうしたコンテクストを、実践を通じて読み解き知ることが、ミナベ氏にとっての「観測」である。

その源流は、20世紀初頭の芸術運動である「ロシア・アヴァンギャルド」に傾倒していた学生時代まで遡る。当時から、関心の矛先は「制作」ではなく、「観測」にあった。

高校時代に映画、文学、音楽にのめり込んだミナベ氏は、早稲田大学の第一文学部に進学。興味の対象を「作品そのもの」から、作者やその時代背景といった「コンテクスト」へ移していった。

特に惹かれたのは、ピカソやガウディ、マーラーなど、偉大な芸術家たちが綺羅星の如く活躍した20世紀初頭。油絵画家、詩人、小説家……サロンに集った芸術家たちは越境的なコラボレーションを生み、さまざまな国で同時多発的に、後世まで名を轟かせる芸術作品を世に送り出していった。

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中でもとりわけミナベ氏の興味をそそったのは、新たなムーブメントが芸術の枠すらも超え、社会に大きな影響を与えたロシアだ。革命が達成され、ソビエト連邦が誕生したのは1917年のこと。革命前夜、芸術分野にも大きな変革の兆しが表れていた──それがロシア・アヴァンギャルドだった。

文学、映画、音楽、建築などさまざまな芸術領域を横断して展開され、革命後の社会に大きな影響を及ぼしたこの芸術運動に、ミナベ氏は強い興味を持つ。「芸術はいかに社会に接続されるのか」そんな問いが、ミナベ氏を深遠なるデザインの世界に導くことになる。

「革命の直前に生まれたロシア・アヴァンギャルドは、革命を成し遂げた新たな為政者たちと結びつくことで、社会に対して大きな影響力を持つことになります。この横断的な運動の中で、特に力を発揮したのがデザインだったんです」

1900年前後のモスクワの識字率は40%程度と、文書での情報伝達に難易度があったロシア。革命を成し遂げた為政者たちは、新たな社会の理想を示し、民衆を動かしていく方法として、視覚に訴えかける表現方法に目をつけた。そうして、さまざまな領域でデザインの重要性が高まっていったのだ。為政者たちはロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちを重用し、彼らが生み出すデザインは新たな社会をつくりあげる一翼を担うことになった。

「デザインは、理想の社会やあるべき姿を示すものだったわけです。『社会がこうなれば、私たちは幸せになれるはずだ』『こんな時代をつくりあげなければならない』といったような考えが、デザインには落とし込まれていた。そうしたあり方に興味を持ち、デザインの歴史を学ぼうと思ったのが、僕とデザインの出会いです」

デザインの理論的な追究と、社会での実践は切り離せない

連綿と続くデザインの歴史と、文化、経済、政治との関係を紐解くプロセスは、彼の知的好奇心を大いに満たし、卒業後の進路は自然と大学院進学へと傾いていった。

しかし、結果的に研究の道は選ばない。「現場に出て、デザインの『今』がどうなっているのか観測したいという衝動が生まれた」からだ。その衝動の根底にも、ロシア・アヴァンギャルドの影響があった。

彼の恩師であるロシア文学者の大石雅彦氏が研究しているロシア・アヴァンギャルドの大家に、カジミール・マレーヴィチという画家がいる。マレーヴィチは大学で教鞭を執りながら、芸術家としての活動はもちろん、学校を創設したり、商業的な仕事も大量に手掛けたりしていたという。

「ロシア・アヴァンギャルドを担っていた人物の多くは、芸術やデザインを研究対象として理論的に追究するだけではなく、構築した理論を社会の中で実践していたんです。ロシア・アヴァンギャルドをきっかけにデザインに興味を持った僕の中には、デザインの理論的な追究と社会での実践は切り離せないものだ、という感覚があったのかもしれません」

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その意思決定には、「日本のデザインコンテクスト」が、海外のそれとは異なる感覚値があった。バウハウスが「表現より機能」と述べているように、海外は「外部の状況がこうだから、表現はこうあるべき」というアウトサイド・イン的な考えが一般的だ。

一方日本では、自らの美学によって方向性を決定づける「インサイド・アウト」な表現特性があると感じた。その独特なコンテクストに興味を持ち、現場で外との関係性について理解を深めたいと思うようになったのだ。

「『インサイド・アウト』が表現やデザインの基本になっているからこそ、“アウトサイド”が表現に与える影響を深掘りできていないのではないかと感じたんです。日本には、インサイド・アウトだからこそ生まれた優れたアウトプットはたくさんありますし、それらの作り手も心から尊敬しています。その中で、社会とデザインの結びつきを追究し、アウトプットが生まれる背景を追求したかった。現場で、デザインの『今』を観測しよう考えたんです」

徹底した「観察」は、技術の体得へもつながる

大学卒業後、ファーストキャリアに選んだのは、家電メーカーのデザイナー。しかし、「一工程としてのデザインしかできない環境では、デザインの『今』を観測できない」と感じ、1年ほどで退職。その後は個人事業主として、デザインの先端を観測できる場所を求めてさまざまな会社を渡り歩くことになる。

そうした企業の中には、世界的なアワードで受賞歴のある実力派のエージェンシーも含まれていた。その環境下で、ミナベ氏の制作物も徐々に権威ある賞に名を連ねるようになる。この実力をつけていく過程にも、徹底した「観察」があった。

「とにかく真似をするのが得意なんですよね。僕は人生哲学や美学はしっかりと持っているつもりですが、表現方法やコミュニケーションに関するこだわりは、全くといっていいほど無い。だからこそ、人の真似をすることに何の抵抗もないんですよ。

個人事業主時代も、先輩クリエイターの企画書を読み込んで、めちゃくちゃ分析していました。『この人はこういう思考プロセスを経て、こういったアウトプットをしているんだな』と仮説を立てて真似をしてみると、それなりに再現できるんですよ。そんなことばかりしていたものだから、ある会社での僕のあだ名は『スパイ』でした(笑)」

人間の思考には、一定の構造やパターンがある。つまり、クリエイターたちの天才的なひらめきすらも、読み取り分析できれば、理論上は模倣できる。

そう考え、ミナベ氏は先人の知見から様々な技能を体得していく。しかし、そうした実績を積み重ねる中で、「ここも自分が求めていた環境ではない」と思うようになる。

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「どのエージェンシーでも楽しく働かせていただいたのですが、“デザインの外”が感じとりづらい感覚を受け取ってしまったんです。繰り返しになりますが、そうした作品や手がけたクリエイターの方々のことも大好きですし、尊敬しています。ただ、僕は政治や経済、社会の潮流とデザインとの接合点を見いだしたかった。いま思えば生意気な若造なんですが、インサイド・アウトなデザインを一通り見た感覚もあって、『よし、次に行こう』と」

社名に込めた、「デザインの知」を探究し続ける“覚悟”

「デザインと社会の接合点を観測できる場所がないのであれば、自分で作るしかない」そう思い立ってDONGURIを創業したのは2010年(編注:法人化は2年後の2012年)、27歳のときだった。きっかけは、共同創業者となる五味利浩氏との出会いだ。

弱冠22歳にも関わらず、すでにデザイナーとして多数の実績を残しており、ミナベ氏もポートフォリオを一目見てその実力を確信するほど。こんな言葉をかけて、創業を後押ししたそうだ。「今でこそ有名な佐藤可士和さんには、無名時代を共に過ごした右腕がいたそうなんです。2人で昼夜問わず働きまくって、遂に世の中に認められた。僕はミナベさんと2人でそんな物語を描きたい」

そうして誕生した同社のコーポレートサイトを見ると、こんな文言が並んでいる。

「DONGURIは非常に分かりにくい会社だと言われる」「あえてポジショニングやドメインを明確にしない」「私たちはいつまでもよくわからない存在でいたい」——自社のポジションをあえて明確にしなかったのだ。そんな会社のあり方には、ミナベ氏の哲学が表れている。

「僕は人生を通して『デザインにおける知の探究』を続けていきたいと思っています。デザインというフィルターを通してさまざまな知識を得て、それを実践し自らの知恵に変えていくことが、これ以上なく面白い。その営みを続けていくために、とにかく、制約は作りたくないんですよ。たとえば、組織デザインの観点からしかデザインの変化や世の中との接合点を観測できないのは嫌で。だからこそ、DONGURIはポジショニングを明確にせず、社会の変化やデザインの変化に合わせて自分たちも変化し続ける組織にしたいと思ったんです」

その背景には、「デザインとは進化し続けるもの」という信念がある。

「人の価値観はどんどん変わっていきますよね。2020年というたった1年の中でも、人生のプライオリティが変わった人は少なくないはず。そういった人々の価値観の変容に合わせて、デザインのあり方も変化し続ける。デザインを媒介に世の中の変化や新たな知識に触れていこうと考えたとき、あらゆる角度から世の中を見られた方がいいじゃないですか」

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ミナベ氏がそう考えるようになったのは、長い時間をかけ、“小さなドングリ”を育み続けた偉大な学者たちの影響もある。

とりわけ大きな影響を受けているのは、20世紀アメリカの化学者ハーバート・ブラウンの研究スタイルだという。彼は生涯を通じて、ホウ素化学という一つの分野に向き合い続け、後世に名を残した。そしてブラウン氏の意志は、2010年にノーベル物理学賞を受賞した、鈴木章氏と根岸英一氏という2人の日本人研究者に受け継がれることになる。

両氏はノーベル賞の受賞会見において、師であるブラウン氏の教えとして印象に残っている言葉を挙げていたそうだ。「教科書に載るような仕事をせよ」「 新しい大陸をディスカバーせよ」「システマティック・エクスプロレーション(妥協のない系統立った探究)を続けよ」「エターナル・オプティミズム(永遠の楽観主義)をもって追究せよ」これらの言葉は、ミナベ氏の人生の指針にもなっている。

「彼らのように生涯をかけて、デザインの知を追究しつづけたいと思うようになったんです。ブラウン氏の座右の銘は“Tall oaks grow little acorns.”、つまり『大きな樫の木も小さなドングリから』という言葉だったそうです。

ブラウン氏も、そしてその意志を受け継いだ鈴木、根岸両氏も、自らの研究を大きな可能性を秘めた“ドングリ”であると信じ、ひたむきに探究し続けたからこそ、偉大な功績を残すことができた。彼らの姿と研究のあり方に深く感銘を受け、社名をDONGURIとしたんです」

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デザインの外から、デザインの「これから」を見る

ポジションを決めないことで、DONGURIの事業は、Webデザインから始まり、事業開発、そして組織デザインと拡張し続けてきた。その軌跡はミナベ氏がデザインの「今」を捉え、社会との接合点を探り続けてきた結果生み出されたものである。

元々プロダクト開発出身だったこともあり、2010年ごろには事業開発の分野でデザインの力が必要とされると感じ取っていた。

「UIデザインが注目されるにつれて『デザインと事業の紐付きが重要になるだろうな』と感じたんです。UIの重要性が増せば増すほど、表現力というよりは、いかに事業やサービスが目指すべき方向性をUIに落とし込めるかが大切になってくる。であれば、デザイナーは事業を深く理解せねばなりませんし、デザインの力が事業をグロースさせるために不可欠な要素になるだろうと。

そう考えたのは、アメリカではMBAホルダーたちがデザインを学び、経営に活かすといった動きが活発になっているのを知っていたからです。デザインの知識を持った経営者が求められるのであれば、経営の知識を持ったデザイナーも求められる。そう思い、事業開発・ブランド開発のコンサルティング事業をDONGURIの創業とともに始めました」

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2015年頃には、次なる「拡張のきっかけ」を感じ取る。

「社会状況を見ていたり、事業コンサルする中での実体験として、組織や人の問題が事業のボトルネックの一つとして大きいのではと気が付きました。折しも、組織の多様性や個々の能力を発揮させるためのマネジメントの重要性がフィーチャーされ始め、HR Tech領域が盛り上がり始めたころ。『組織の問題をどうにかしないと、事業は育たないよね』といった論調が支配的になってきていたからこそ、デザインと組織が抱える問題の接合点を見いだせないかと考えるようになったんです」

こうした先見の明を裏打ちするのは「社会の動きをキャッチアップし続ける」という、一見すると当たり前の営みの積み重ねである。

「グローバルな社会のうねりを捉えることが大事だと思っています。たとえば、アメリカ経済に動きがあったら、その動きに日本経済も追随するように、デザインにもグローバルな社会の動きが反映される。つまり、デザインの中に閉じこもるのではなく、その外に目を向けてこそ、デザインの『これから』が見えてくる。

僕はインプットが大好きなんです。20歳のころから、だいたい毎日一冊本を読むようにしています。デザインの『外』を観測することで、デザインの力をどの領域に活かすことができるのかを予測できる。こうしてDONGURIは事業領域を拡張させてきたんです」

命尽きるまで、知の探究は終わらない

デザインと社会の接合点を追い続け、デザインの力を社会に還元すべくその事業領域を拡張してきたDONGURI。直近の事業上の最も大きなトピックは、2020年3月に発表したミミクリデザインとの資本業務提携だろう。

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ミミクリデザインは、ワークショップデザインの方法論を駆使しながら、創造性を引き出し課題解決へ導くファシリテート集団だ。同社を率いる安斎勇樹氏がDONGURIのCCO(Chief Cultivating Officer)に、そして、ミナベ氏がミミクリデザインのCOO(Chief Operating Officer)に就任し、横断経営を相互に行うことで事業を推進していくことが提携の内容に盛り込まれていた。

提携発表から約1年。横断経営を開始した直後は苦労もあったと振り返るが、現在は確かな手応えを感じているという。

業務提携の発表直後に新型コロナウイルスの流行による緊急事態宣言が発令されるなど、決してスムーズな滑り出しではなかったと振り返る。彼ら自身にも働き方の改革が求められたうえ、オンラインでいかにワークショップやコンサルティングを行うかといった課題も突きつけられた。

しかし、そうした状況も、2社が一丸となり乗り越えられたという。

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「ミミクリデザインとDONGURIは組織文化がよく似てて、対話を重視するカルチャーが根付いているんです。安斎と僕は『兄弟なのかな?』と思うくらい趣味嗜好が似ているんですよ。ほぼ同じ価値観を持っていると言っても過言ではない。大げさかもしれませんが、人生で始めて出会った、心から分かり合える人間なんです。安斎がどう思っているかは分かりませんが(笑)」

そんな2人がつくった会社ゆえに、「あの提携は必然だったと思う」という。今後は2社の力を結集し、デザイン的アプローチを組織運営に取り入れるための仕組みの構築に注力していく。

他方で個人としては、やはり「知の探究」を続けていきたいとミナベ氏。「スタートアップ、テック界隈に近い位置にはいるのですが、尊敬する経営者は多いもののロールモデルにしたことはない」という。理想の姿として仰ぐのは、あくまでさまざまな分野の偉大な碩学たちだ。

知の探究を続けてきたものの、歳を取るとどこかで成長曲線が止まり、知識のインプット量が飽和するイメージがあったという。しかし、最近それが間違いであることに気が付いたそうだ。

それを教えてくれたのは、SECIモデルを生み出した経営学者である野中郁次郎氏。野中氏は、1996年に『知識創造企業(東洋経済新報社)』を著し、世界的な名声を得た。しかし、85歳になった今でもその理論をアップデートし続けて、いまだに社会の最先端で活躍し続けている。

そんな野中氏の姿に、ミナベ氏は大いに触発された。

「探究の足を止めなければ、知識は死ぬまで増え続けるのだと感じたんです。僕も知識が雪だるま式に増えていることを実感することが多くなりましたし、これからも知の探究を続け、いつまでも社会の最先端を観測し続けたいと考えています。

そして、歳を取ったからですかね、人の役に立ちたいと思うようになったんですよ(笑)。知識を社会に還元したいという欲求が、強くなっているのを感じるようになりました。命が尽きるまで知を探究し、そしてその知を社会の役に立てる事業を続けていきたいです」

これまであげてきた実績を見れば、ミナベ氏のデザイナーとしての実力が伺い知れる。しかし、それらの実績はミナベ氏の本質ではない。ロシア・アヴァンギャルドへの興味に端を発するデザインと社会の接合点への、そしてデザインの知への探究心こそが、ミナベ氏を突き動かし続けてきた。そして、それはこれからも変わらないだろう。

デザインと社会の間に、観測者・ミナベトモミは立ち続ける。

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[文]鷲尾諒太郎[編集]小池真幸[写真]今井駿介

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