デザインは事業の道具ではなく、“やさしさ”のまなざし——KESIKI石川俊祐
「デザインとは、人に向き合う“やさしさ”である」
クリエイティブ・コミュニティKESIKIの石川俊祐氏はこう語る。
英国のデザインコンサルで経験を積んだ後、IDEO TokyoのDesign DirectorやBCG Digital VenturesのHead of Designを経て、2019年にKESIKIを創業。国内外双方の最前線から「デザイン」を牽引してきた彼は今、「やさしさがめぐる経済」を目指すという。
この“やさしさ”は、一般的なビジネスシーンで捉えられる「デザインの発揮する価値」とは少々温度感が異なる言葉だろう。例えば、売上を最大化し、事業を急成長させることは、スタートアップにおける「デザイン」の正解かも知れない。ただこれは“資金”はめぐるが“やさしさ”がめぐっているかはわからない。
なぜIDEOやBCGDVといった資本主義経済の中心にいる企業を経た石川氏が、「やさしさ」という言葉を掲げ、会社を経営するのか。原点となるそのキャリアを踏まえつつ、真意を訊いた。
見た目の美しさは、結果に過ぎない
日本から持参したポートフォリオには目もくれない。
投げかけられるのは、「この世で最も優れたデザインはなんだと思うか」「自分が妊婦だったらどうするか」、「今1,000万円受け取ったらどうするか」といった答えのない問いばかり。
これが、石川氏のデザイン観を大きく揺さぶった、最初の瞬間だった。
幼少期からデザイナーを志してきた石川氏は、高校卒業後に入学した日本の大学を1年ほどで中退。ロンドン芸術大学内のセントラル・セント・マーチンズ(CSM)に編入した経験を持つ。冒頭のエピソードはその面接の時の話だ。
石川「日本で考えていたデザインとは、明らかに“別のこと”を求められました。日本の美大のようにポートフォリオを見ることもない。何を答えれば受かるのかも分からないような質問に、『なぜこの人たちは美大の面接でこんなことを聞いてくるのか?』と不思議な気持ちでいっぱいでした」
彼がデザイナーを志した1990年代後半、脚光を浴びていたデザイナーはフィリップ・スタルクや深澤直人などのプロダクトデザイナーが中心だった。「僕も彼らのように、美しいプロダクトをデザインしたいと思っていた」という石川氏にとって、この問いは“美大の入試”のそれではなかった。
ただ、その違和感もイギリスでの学生生活を経て納得へと変わっていく。
石川「入学後にやったのは、ひたすら観察し、問いを立て、解を作ることの繰り返しでした。入学前の僕は『デザインは、形こそがすべて』と思っていましたが、形は、解が決まった後にあるプロセスにすぎない。本質は徹底的な観察にある。CSMでの日々で、自分のデザイン観はガラリと変わりましたね」
デザインは、本当に誰かを幸せにできる
卒業後、石川氏は日本の家電メーカーに就職した。しかし、そこには石川氏がCSMで培ったデザイン観とは大きく異なる世界が広がっていた。
メーカーのデザイナーには、「見た目を美しくする役割」が多く求めらていたからだ。優秀とされるデザイナーは、色や形、素材、製造プロセスの違いなど、様々なパターンでプロダクトのスケッチを描ける人。大学で学んだ「観察こそが本質」という視点が活かされることは決して多くはなかった。
5〜6年かけクラフトを中心とするデザイン技術を体得した後、退職。自身が大学で得た「デザイン観」を発揮できる場を求め、再び渡英。デザインコンサルティング会社の老舗PDD innovationに入社した。
石川「イギリスにおけるデザイン会社は、『企業のお医者さん』みたいな役割なんです。日本のように『こういうものを作りたい』といった具体のニーズではなく、どう解けばいいかも分からない問いや、コンサルに相談がいくような事業課題など、抽象度の高いものが集まっていました」
事実、手がけたプロジェクトはいずれも大学時代に得たデザイン観を存分に活かすものばかり。その一例として挙げたのが、成長ホルモン剤が必要な子ども向け注射器のデザインだ。
石川「企業からのお題は、『ホルモン注射を毎晩打たなければならない家庭から、どう恐怖感を取り除けるのか?』というもの。そこで我々は、実際にユーザーの家庭にお邪魔し、注射が打たれるまでのプロセスをひたすら観察させていただいたんです」
チームはデザイナーのほか、心理学や文化人類学、記号論の専門家など、さまざまな分野のプロフェッショナルによって組成された。多様な専門家とコラボレートし、さまざまな視点から対象を捉えるのもPDDの特徴だという。
その観察からチームが見いだした解は、「注射器をToyのようなデザインに変えること」、そして「注射針の刺さる深さを選べる機能」だった。
石川「この機能、実は痛みそのものは同じなんです。ただ、『昨日と今日どっちが痛くなかった?』と、母親と子との間で会話を生み出せる。すると、『今日の方が痛くないかもしれない』と、次から子どもはその深さを試してみようとする。そうした会話と試行錯誤が生まれることで、徐々に毎晩恐怖で泣き続ける恐怖の時間がなくなっていくんです」
この注射器には、感動的な美しい形も、革新的な技術も必要としない。ただ、「向き合い、観察すること」から見いだした、人の行動と心の動きがデザインされている。こうした経験を幾度も重ね、石川氏は「デザインは本当に世の中の課題を解決したり、誰かを幸せにできる」と確信を深めていった。
日本企業が持つ「問いの質」への危機感
石川氏にとって、PDDは申し分のない環境だった。向き合う課題の幅も、担える役割も拡大し、クライアントも中国や韓国、北欧などさまざまな国に拡大。そこでも成果を残していった。ただ、唯一クライアントとして向き合う上で、懸念がある国があった。日本だ。
石川「日本企業のお題、言い換えるなら“立てる問い”の質が、何年経っても全く変化していなかったんです。『市場のユーザーに一番マッチする、色や素材を教えてください』といった類いのものばかり。彼らのデザインとの向き合い方が変わらなければ、日本企業に対し本質的に価値発揮をするのは難しい。そう感じる場面もありました」
この「問いの立て方」を変えるには、“提供する価値”の部分だけではどうにもならず、企業自体の変革を促さなければいけない。そんな気持ちを知っていたかのように、一通のメッセージが彼のもとに届く。送り主は、後にIDEO Tokyo創業者となるリャン・サンジン氏だった。
石川「当初は、日本を訪れる際にお茶をして『一緒に何かできたらいいですね』とお話をするくらいでした。『東京にオフィスを開くことにした』と伝えられたのは、その1年後くらいでしたね。しかも、その理由が『日本企業の問いの質が変わってきたから』と。このタイミングなら、日本企業と向き合うのも面白いかもしれない。直感的にそう感じました」
ただ、誘いに即答はできなかった。デザイン観の合う環境で価値を発揮し続けてきた彼に、まだ価値観のすりあわせが必要な日本に帰るのは相応のリスクだ。かつ、当時は英国内の別企業からもオファーをもらっており、その条件も魅力的に映っていた。
石川「価値観が合うイギリスで、さらなる価値の発揮を目指すか。それとも、母国のデザインに対する価値観を変えるために挑戦するのか。悩みに悩み、最後はあみだくじで決めました」
レストランのナプキンに書いたあみだくじ。友人とともに引いたボールペンの線は、彼を「挑戦の機会」へと導いた。
コンサルで気づいた、今の社会に必要な「問い」
「実はくじの結果がIDEOだと分かったとき、内心ホッとしたんです」——この言葉が指すように、東京での挑戦は彼の本懐だった。帰国後早々、IDEO Tokyoの立ち上げに参画。当時はまだ「知っている人は知っている」程度の知名度だったIDEOが、チーム一丸となりクライアントに対し一つひとつの案件でしっかりと価値を提供し、「日本の問いの質」に挑み続けていった。
もちろん、イギリスのような「問い」が届くことは多くはない。ただ、IDEO自体の認知も広がっていくにつれ、「問いの質」にも少なからず変化は感じるようになっていった。
他方で、この質をさらに変えるには、「IDEOという環境でも不十分かも知れない」と感じるようにもなる。そこで目を付けたのが、日本で「抽象度の高い問い」が集まる場所である、経営コンサルティングファームだ。
石川氏の感覚値では、当時日本のデザイン会社とコンサルには10倍近いマーケットバリューの差があったという。つまり、それだけコンサルは経営者に信頼されている。その中でデザインが価値を発揮できれば、“問いの質”も変えられるかも知れないと考えた。
また、IDEOで経験してきた“立ち上げ / 0→1”以降の部分にも携わりたいという意図もあった。
石川「IDEOが担うのは、イノベーション創出が中心です。いわゆる“事業の種”を作る部分ですね。ただ、その後実際に事業化し成果を上げるまでには、種を作る以上の苦労がある。そうした、社会実装の部分にもコミットする機会を求めていたのもあります」
2018年、石川氏はボストン コンサルティング グループの子会社で、大企業の新規事業を一気通貫で支援するBCG Digital Venturesに入社。Head of Designに就任した。社会実装という観点では素晴らしい経験をできたとしつつも、中に入って理解したのは、「問いの質」にはさらに別の軸があるということだった。
コンサルティングファームに持ち込まれる問いの多くは、『事業成長のために、この市場を取るにはどうすればよいか?』といったもの。ここに石川氏は違和感を覚える。なぜなら、それらの問いは“企業目線”だからだ。
石川「もちろん、会社が潰れてしまっては元も子もありません。だから勝算がある市場を探り、そこの攻略法を考えるのは当たり前のことです。ただ、それを『企業目線』でおこなっていて、そこで働く人やユーザーを幸せにしているのだろうか?とも感じたんです」
これも、石川氏の「デザイン観」へ通じる。デザインとは“観察”からはじまるが、企業目線の問いの場合、観察の前に課題もゴールも定義されてしまう。この問いはロジックで解けるため、確かにコンサルは相性が良い。一方で、ユーザーをないがしろにする恐れもあり、短期的な課題解決に終始してしまう恐れもある。石川氏はこの差異に、デザインが向き合うべき「問いの質」を見いだした。
石川「コンサルティングが担うロジカルな解読を“左脳的”というなら、デザインは“右脳的”なアプローチです。僕が長年違和感を感じていた日本の“問いの質”とは、抽象度ではなくこの右脳的な部分だったんです。日本には、そうした右脳と左脳の両方を必要とされる課題が少なく、かつ担える人材もいない。であれば、自分でそういった人を増やせないかと考えるようになりました」
人に向き合う文化を作り、やさしさがめぐる経済を作る
2019年に石川氏はBCGDVを退職。同年、KESIKIを創業。『人や社会や地球に愛される会社をデザインし、「やさしさ」がめぐる経済の実現』というミッションを掲げた。
ここでいう“愛される会社”を、石川氏は「関わる人全員が、その会社に携わることに意義を感じている会社」と定義する。
石川「『企業がどう成長するか』や『企業が競争に勝つには』といった企業主語ではなく、『関わる人がどう幸せになるか』をまず第一に考えたいんです。どんな企業も事業も、最初は『誰かを幸せにするため』に生まれたはず。ただ、最初の想いや目的は、意識しないと気づかないうちに見失われてしまう。それを取り戻すことを、KESIKIが取り組むべきものと据えたんです」
このミッションにも、石川氏のデザイン観が反映されている。デザインを“徹底的な観察”と捉えると、愛される会社を生むプロセスでは「関わる人は何を考え、どのような感情を抱くのか」「どう感じているのか」を考えることになる。
ここまでの文脈を踏まえるなら、関わる人に対する「思いやり」や「やさしさ」こそが、KESIKIが描くデザインの本質ではないだろうか。
石川「デザイナーって、『目の前にいる人を幸せにできるか』みたいな青くさいことをしっかり考える気質があると思うんです。最終的に、形あるものを作っているからかもしれません。例えば、ペン一つデザインするにしても『子どもが使うには太すぎるかな』、『キャップが開けにくくないかな』と考える。それは市場規模だけ見ていたら気にできない。だから、デザイナーが『やさしさ』がめぐる経済を作る必要があると考えるんです」
言い換えるなら、KESIKIのミッションは、石川氏の「デザイン観」を通し、経済活動をいかに変化させられるかの挑戦ともいえる。そして、この「愛される会社」こそが、これからの企業活動において重要な指標になると考える。
石川「効率を追求したり、右肩上がりの成長を目指したり......経済の世界にいる人たちの多くは、こうしたことを当たり前だと信じてきました。でも、終わらない成長や短期的な成長を追い求めざるを得ないビジネスは確実に限界を迎えている。
会社には、適切な成長角度や規模があると思うんです。関係者全員が幸せになる規模とも言えますね。それを超えると誰かが不幸になる恐れがある。長く続く企業を見ると、一定の範囲で経済や関係性を構築している形も少なくない。これは文字通り、関わる人みなから“愛されている”から持続している状態なんです」
日本だからこそ感じる、デザインの可能性
この“愛される会社”の鍵を、石川氏は「カルチャー(文化)」に見る。
石川「たとえば、世界中から愛されているAppleの商品は、ネジ一つに至るまでこだわり抜かれていることで知られています。100〜200年続くような日本の和菓子屋さんは、細かい造詣をこだわり抜いて、それが世界でも高く評価されていたりする。こうしたプロダクトって、経済合理性だけを考えたら絶対出てこないんですよ。それを可能にしているのは、関わる人が“徹底的にやり抜こうよ”という姿勢を持ち続けられているから。これがカルチャーなんです」
以前KESIKI井上氏に取材した際にも、カルチャーについては言及いただいた。
ただ、このカルチャーをデザインするという考え方はそう耳馴染みのあるものではない。そのため、多摩美術大学のクリエイティブリーダーシッププログラムで教壇に立ったり、特許庁と共催で「デザイン経営」のイベントを展開するなど、多様な打ち手をもってカルチャーへのアプローチを模索している。
石川氏は、これらの打ち手も「日本だからこそ可能性がある」と捉えている。
石川「例えば、旅館に行くと自分の方を向いてスリッパが用意されていたり、食後に部屋に戻ると布団が敷いてあったりしますよね。このように、日本人には相手のことを想像して、期待以上のことをする資質が備わっていると思うんです。これはまさに、デザインの本質である共感と観察の姿勢ですよね。そうした素地のある日本だからこそ、デザインによって愛される会社を増やせると信じているんです」
そんな言葉の裏には、石川氏自身のデザイン観や20年以上にわたるデザインキャリアでの経験値、そして、なによりも彼自身にとっての“デザインを信じる理由”がある。
石川「僕にとってのデザインの原体験を振り返ると、5歳の頃までさかのぼるんです。それは、真夏の暑い日にやってきた郵便配達の人に、氷水をあげたこと。一見デザインとは関係ないようなエピソードですが、ここには汗をかいた配達員の人を観察し、氷水をあげるという解を見いだした“やさしさ”の眼差しがたしかに存在する。こういう純粋なやさしさは誰もが持っているものだと思うんです。だから、僕は誰もがデザインのまなざしを持てると信じています」
[文]イノウマサヒロ[編集]小山和之[写真]今井駿介