UXデザインはどこで道を間違えたのか?Adaptive Path共同創業者の見解
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UXデザインはどこで道を間違えたのか?Adaptive Path共同創業者の見解

「UXは、今や一つのコミュニティ、あるいは一つの手法で捉えられないほど、大きな存在となった」

そう、UXの現在地を語るのは、Jesse James Garrett氏。2001年にデザインエージェンシーAdaptive Pathを共同設立。著書『The Elements of User Experience』で提唱した「UXの5段階モデル」でも知られる。

業界の先駆者は、Fast Companyに寄稿した記事『I helped pioneer UX design. What I see today disturbs me』のなかで「私たちは一体どこで道を間違えたのか」を厳しく問う。率直な思考が綴られた記事を、公式に許可をいただき翻訳した。

20年前、UXデザインが研究所を飛び出し、本格的な産業へと発展し始めたとき、未来はとても眩しかった。一握りの専門家の漠然とした関心事から、何千人もの増員を必要とする急成長産業へ。まるで一夜の出来事のようだった。

それ以来、さらなる成功によって影響力は強まり、何よりもユーザーに多くの喜びをもたらした。

私はその歴史の重要な転換期に立ち会った。2001年にAdaptive Pathというデザインエージェンシーを共同設立。ユーザー中心のデザインやユーザー体験などの概念や手法を取り入れ、デジタルプロダクトの最先端を走った。開発したツールやコンセプトは、以降に生まれたUXプログラムのスタンダードとして扱われることも度々あった。最近ではコーチとしてUX業界のリーダーと日々議論を交わしている。そのなかで何度も、何度も、耳にする質問がある。

「私たちは一体どこで道を間違えたのだろう?」

おかしな質問に聞こえるかもしれない。なぜならUXにとって今ほど素晴らしい時代はないはずだからだ。UXは今や成長真っ最中の巨大な分野となった。生み出されるデザインも、かつてないほど質の高いものになっている。しかしこの分野に長く携わってきた人たちは、その光の裏側に暗雲が立ち込めているのを知っている。

業界において、UXは探究と洞察による経営についての新しい哲学であるという、暗黙の了解があった。クリエイティブな探求によって人間の行動についての新たな問いが生まれる。その問いが新たなプロダクト、新たな価値の定義が導き出されるということだ。

また、他者への尊重や思いやり、そして謙虚さを大事にするカルチャーがあった。自分たちの作ったものを使うユーザーはもちろん、ユーザーの生活体験から生まれる行動が自分たちと異なることへの謙虚さがあった。

こうした考え方に触れる機会が増え、より多くの需要が生まれ、人間中心設計の勢いが高まった。それに伴い、人間中心設計を重んじる企業が増えていくはずだった。

だが、正直に言えば、実際にはそうならなかった。

より深く、より微細なユーザーのニーズを把握しようと試行錯誤する代わりに、プロダクトデザインの手法はインサイトを重視しなくなっていった。近年、多くの組織におけるUXプロセスは「UX劇場(※)」に過ぎない。無知なビジネスリーダーや希望に満ちた新入社員に、しっかりとしたデザインプロセスが存在すると思わせるため、最低限のデューデリジェンスと正当性のようなものを整えているだけだ。

※訳者注...2018年にUXデザイナーのTanya Snook氏がツイートし、話題を呼んだ概念。“ユーザー中心”を掲げながらも、プロセスに一人もユーザーを巻き込むことなく、ユーザーリサーチやユーザビリティテストなど、デザインにまつわるメソッドを取り入れることを意味する

UXの第一線で活躍する人たちは、この分野における用語や考え方が外部の人間によって、吸収され、潰されていくのを目の当たりにしてきた。実践を支える原理・原則を気にも留めない、外部の人間によって、だ。

私たちは彼らと意志疎通できていると思っていた。しかし、実際には搾取されるよう仕向けられていた。企業は、既存の取り組みにマッチするUXを断片的に選び取り、画面上のボタンの色以上に影響が及びそうな、不都合な問いに繋がりそうなものを避けてきたのだ。

既存の取り組みの例として挙げられるのは、アジャイル・トランスフォーメーション(※)だ。これは開発の効率化を目指して組織を最適化する営みを指す。アジャイル・トランスフォーメーションは、目的が不明確な業務に疲れた開発者だけでなく、開発部隊の生産性を最大化したい企業にとっても、好都合だったのだ。

※訳者注...ソフトウェアの開発サイクルを短く区切って仮説検証を繰り返し、変化に柔軟に対応するといった、アジャイルの方法論を取り入れ、チームや組織を変革することMcKinseyAccentureなどは、組織構成やビジネス戦略、カルチャー、システム、業務プロセスなど、複数のレイヤーで変革が必要と整理している

しかし、トランスフォーメーション(変革)を急ぐあまり、何かが失われてしまったように思う。

ソフトウェア開発の一工程としてだけでなく、より深く重要なものとしてUXを捉えること。個々のコンポーネントの要件を超え、課題に対する広い文脈理解からプロダクトデザインを実践すること。そして、UXの根本的な価値を発揮するための包括的かつ探索的な手法の多くも失われてしまった。

最近、経験豊富なUX担当者に話を聞くと、ほとんどの人は「復活させたいお気に入りの手法(あるいは取り戻したいかつての栄光)」を持っている。リサーチドリブンなペルソナ開発、コンセプトモデル、 コ・クリエイション(共創)、タスクフローなどが挙がる。

これらの手法が、UXプロセスから失われたのは、決して不要だからではない。全ての活動に説明責任が問われ、2週間単位で収まると予測できる仕事以外は許容しない開発プロセスには、マッチしなかったからだ。

UXを犠牲にしたアジャイルの成功は「企業はスケールしたがる」という真実の表出に過ぎない。そしてUXの基礎となる仕事はわかりやすくスケールすることはない。予測でき、反復できるプロセス、量産型の役割分担には適していない。なぜなら、UXは絶えず変容するビジネスの最先端において、未知で掴みづらく、定義が難しい問題を扱うものだから。

スプリントによる規則的なリズム、明確に示された成果目標、複雑なユーザーの体験を具体的なコーディング要件に落とし込む——。こうしたアジャイルの要素は、エンジニアリング的な仕事をスケールさせるには最適である一方、UXの基礎的な仕事には全く適していない。UXの基礎となる仕事においては全体性を重んじる考え方やアプローチが欠かせない。それはライン生産方式でユーザー経験を組み立てるアジャイル的なものとは正反対である。

生産レベルのUXに取り組んでいれば、組織は「UX」というチェックボックスにチェックを入れられる。上層部が答えられない、あるいは答えたくない質問をしてくる人材を雇ってしまうといった厄介ごとも避けられる。工場ではいつだって互換性のある部品が好まれるのだ。

UXの基礎となる仕事は、人がUXに関心を持つきっかけとなるもの、つまり人間に対する洞察やコラボレーションによる探求、創造的な実験などが起きる場所にある。UX業界に足を踏み入れたばかりの人によって、この夢と現実のギャップはひどい詐欺のように思えるかもしれない。学校では「UXは高貴で創造的な追求」だと教わったのに、いざ就職してみると、製品を出荷するという名目で、高貴さや創造性を発揮する機会がすべて削られ、一掃されてしまっているのだから。

このような状況を招いた責任は、UXに携わる私たち自身にあると言っていいだろう。仕事の価値について説得力のある説明をし、資金を得るための信頼を築くことができなかった。それによって、UXの基礎を実践する場所を守れずにいたのだから。

UXは、単なる生産レベル以上の価値を提供するという約束を果たせなかったのだ。いや、もしかすると、それ自体が間違った約束だったのかもしれない。つまり、そもそも私たちは皆間違っていたのかもしれない。

あるいは、UX業界をめぐる不安や倦怠感は、第一世代の実践者たちがキャリアにおける中年の燃え尽き症候群に陥ってしまったからかもしれない。草の根による革命がどれほど時間がかかり、厄介なものであるか、過小評価していたのかもしれない。この分野での経験が長ければ長いほど不満の声も大きくなるようだ。UXの経験があればあるほど「ユーザー中心の価値観を実現するのは、資本主義下では不可能なのではないか」と問う傾向がある。これは一つのコミュニティとして、向き合う価値のある議論だろう。

興味深いのは、誰一人として「解決すべき問題がすべて片付いてしまった」から、UXが停滞しているとは言っていないことだ。一般的にどの分野においても発展に伴って最適な手法や基準、常識が確立されていく。UXの手法をよりわかりやすくシンプルにしなければならないという企業側からのプレッシャーも存在し続ける。

それでも人間の持つ厄介な複雑性は、依然として私たちの前に立ちはだかる。“UX劇場”以上のものを求めている組織は、今でもそのチャレンジに新たな機会を見出している。

この分野の新参者からすれば、業界の長老たちが方向性をめぐって議論する姿は、間違いなく違和感を感じることだろう。まるでパイロットが機内で「やっぱりアルバカーキ(※)は、この便のベストな到着地ではないかもしれません」とアナウンスするようなものだ。

※訳者注...アメリカ合衆国ニューメキシコ州中央部にある都市

しかし、内部から価値観や意図を問う声が上がっているのは、この分野が健全である証とも言える。そうした内省がみられなくなることこそ価値の低下が始まった証だからだ。

実際にUXは、今や一つのコミュニティ、あるいは一つの手法で捉えられないほど、大きな存在となった。かつてはUXチームの存在そのものが組織にとって何かしらの意味を持っていた。しかし、今では意味を持つ場合もあるし、まったく意味のない場合もある。UXにどのような意味を持たせるのかは、良くも悪くも、それぞれの組織が決めることになった。心を勝ち取るために戦う人たちにとって、チャレンジの核心は「UXをどのように意味づけていくのか」にあるのだ。

[文・翻訳]Erika H.[編集]向晴香

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