行動は「創造」ではなく「編集」せよ——書評『行動を変えるデザイン』
現代社会における大きな潮流として、「行動はデザインできる」という考え方がある。UXという概念がこれほど浸透していることからもわかるように、こうした考え方はもはや当たり前のものと見なされている。最近では行動科学の知見を応用し、従業員や顧客の行動を変化させるために、Chief Behavioral Officer (CBO:最高行動責任者)と呼ばれる役割を設けている組織もあると聞く。
では具体的に「行動を変えるデザイン」とはどのようなものを指すのか? それに答えるのが本書、タイトルもずばりそのまま『行動を変えるデザイン』だ。「心理学と行動経済学をプロダクトデザインに活用する」ことを目的として書かれており、デザインが行動に働きかける力を理解し、相手の行動を変容させる技法を学ぶうえでは格好の一冊である。
あらゆる分野でそうであるように、デザインでも影響力を及ぼさないものは早晩消える運命にある。本書で提案される「行動変容デザイン」は、いうならばデザインを「力」のあるものに変えるための技法だ。「力」のあるデザイン、影響力のあるデザインの作り方を知りたければ、迷わず本書を手にとってみてほしい。
デザインには「力」が必要である
そもそも世界とは、「力」をめぐる舞台である。
こう聞くと、軍事力や政治力のような「権力」を思い浮かべる人が多いかもしれない。あるいは体力や想像力のように、個々人の「能力」を想起する人もいるだろう。日本語というのは「力」という言葉に関して、ある種のフェチをもっている言語のようで、私たちの日常にはさまざまな「〜力」という表現が存在する。これからも、次々と新しい「〜力」が生まれてくるに違いない。
では、「力」とは結局のところどういうものなのか? 私は「影響を及ぼす力」、すなわち「影響力」こそ、その根本的な性質だと考えている。他者や環境に対してどれだけ影響力を及ぼせるかで、その人やプロダクトの持つ「力」が測られるというわけだ。もちろんその扱いについては、力が大きいだけ責任が生じるわけだし、誤った扱い方をしたときの被害も甚大になる。言うならば火の扱いと同じだ。火力が上がれば上がるほど、適切な管理と緊急時への備えが求められる。
たとえば数多く存在する「力」のなかでも、前述した軍事力や政治力は影響が広範囲であり、他者や環境に与える変化量も大きい。ゆえにそうした力をコントロールするため、さまざまな監視機関やシステムが存在する。大きな力を持てば持つほど、特にその力にアクセスできない者にとっては脅威になるため、パワーバランスを均衡化させるべく対策が取られる。このように私たち人類の歴史は、自分たちの「力」をどのように築き上げていくか、あるいは他者の「力」をどのように抑制していくかという試みの中で紡がれてきた。
「力」の担い手は公権力に限らない。芸術家やスポーツ選手、はたまたアイドルも、公的な権力とは別の切り口で、多くの人に影響を与える存在だ。彼らは鑑賞者に対して、時間、思考、行動レベルで変化を働きかける。昨今、日本語圏でも当たり前に使われるようになった「インフルエンサー」という表現は、この「力」の性質を饒舌に説明している。影響力のある人やモノには、人に語らせたり書かせたりする「力」が内在している。彼らは人々の普段の思考を、所属する文化を、そして行動を変える力を持っている。ゆえに彼らは、どれだけ親しみのあるような存在に見えていたとしても、その内実は文字通り「権力者」なのである。
このように、私たちの世界のありとあらゆるところにさまざまな「力」が存在し、それぞれがそれぞれに影響を及ぼさんと、日夜しのぎを削っている。これらは一見するとバラバラの事象のように見えるかもしれない。しかし実際は、内外に影響を及ぼす「力」を行使しているという点において、同列に並べられる事象と言える。
そして、この話はデザインについても当てはまる。
「力」のあるデザインはどのようなものか? それは取りも直さず、他者や環境を変化させるものだ。なかでも最も影響力が大きいのは、人々の取る行動への介入である。行動に影響を与えるからこそ、その影響は一個人を超えて、より広範囲に伝達する。
デザインというのはそもそも、他者の行動に対してアプローチすることに長けた領域である。逆に言うと、他人の行動を変えないデザインというのは、どれだけ見た目やコンセプトがよく見えたとしても、「力」に欠けるデザインということになる。「力」のないデザインは、人の行動を変えることもないし、その先にある社会や文化を変えることもない。
デザイナーは、もっと貪欲に「力」を志向するべきだ。デザインを通して人々に影響を及ぼすことが己の「職能」であると受け入れなければならない。
私たちは「すでにほとんど書き込まれた紙」である
人々の行動を変える、つまり「力」を発揮するうえでは、なによりも人間理解が必要である。対象の性質がわからなければ、働きかけ方を間違えてしまう。しかしここで問題が発生する。私たちは自らが人間であり、しかも多かれ少なかれ他の人間に囲まれて生活している。そのた、どうしても「自分は人間のことを理解している」と思ってしまうのだ。
ところが行動科学が積み上げた知見は、そうした認識が砂上の楼閣であることを明らかにする。一例として、本書でも取り上げられている実験をご紹介しよう。バスケットボールのゲームの様子を被験者に見せ、ボールがパスされた回数を数えるように指示したとする。このゲームの間、ゴリラの格好をした男がパス回しの真っただ中を横切り、胸を叩いて歩き続けたとき、どれだけの人がゴリラ男に気づくだろうか? 実はなんと、半数もの被験者がゴリラ男がいたことに気づけないのだが(p.70)、この結果をリアリティをもって受け止められる人は少ないだろう。この手の実験は他にもいくつかあるが、いずれも人間の認知力には限界があることを示唆している。
記憶力や注意力、意志の力に限界のある私たちは、常に意識を周囲に向けることができない。そこで思考や行動の多くを「自動化」することで、エネルギーの枯渇を防ぐという手段を取る。それは即時的なものであれば「直感」と呼ばれ、特定の条件で繰り返される行動パターンであれば「習慣」と呼ばれる。
この事実は、私たちがタブラ・ラサ(白紙)ではなく、「すでに多くの行動パターンが書き込まれた紙」であることを示している。だからこそ「行動を変える」のは難しい。1回だけであれば、新しい行動もそれなりに実行できるかもしれない。しかしたとえば「このアプリを1日1回起動してもらう」というような習慣を身に着けてもらい、長期的な影響を及ぼそうするならば、まだ何も書き込まれていない隙間を見つけるか、すでに書かれているもの(習慣)を書き換える必要がある。だが一度クレヨンで塗りつぶされたキャンバスを白に戻すのが難しいように、既存の行動習慣をやめることはきわめて難しい。
最もプロダクトと競合しやすいのは、ユーザーが今まさにやっていることだ。(p.98)
不運なことに、真正面から習慣をやめようとするのはとびきり難しい。脳を損傷あるいは手術したり、さらにはアルツハイマー病や認知症をかかってしまったりしても、他の認知機能が著しく能力を残っていたとしても、習慣をやめることに失敗してしまう。(p.122)
行動を「創造」するのではなく「編集」せよ
ではどうするのか? 本書ではいくつかの方向性が提示されている。たとえば行動デザインをつくるうえでは、「できるかぎりユーザーの作業はなくすべきである」「行動そのものを変えるよりも、技術的な解決策を設計するほうがはるかに効果的である」という思想に基づき、「舞台裏で行動を自動化する」、「うまくデフォルト(標準化)する」、「ユーザーがすでにやっていることのついでに行動が生じるようにする」ことを、実際の技術的解決策として挙げている(p.131)。
これらの点をしっかり押さえているかどうかだけでも、行動デザインの設計に大きな差が生まれるだろう。私たちが「すでにほとんど書き込まれた紙」であることを承知しながら、そのうえでどうやって新たな行動を促すのかをデザインするのだ。それは創造というよりも、ある種の編集に近い。
うまく人々の行動や思考のパターンを再編集すれば、大きな効果を出すことも可能だ。たとえば短時間の介入で、その後の習慣に大きく影響を及ぼした実験がある。バージニア大学の社会心理学者ティム・ウィルソンは、学校でうまくいかず、将来に悩んでいる大学1年生を2つのグループに分け、片方のグループに「学校で悪い成績を取ること」についての異なる解釈を与えた。すると過去の結果を再解釈したグループの成績は卒業まで上がり続け、大学を中退する傾向も低かったという(p.219)。これは大学での実験だが、プロダクトデザインにも何らかの形で応用できるだろう。
もちろん行動デザインという観点でも、見栄えはなんだかんだでとても重要だ。どんなに行動科学的に優れていたとしても、ユーザーの文化やスタイルにハマらないデザインであれば、手にとってもらえる可能性は低くなる。
プロダクトは、デザインが優れていて、使っていると楽しく、ユーザーのニーズを解決するものだ。このような基本があって初めて、行動を変えることを考える。さもなくば、人々はただプロダクトを使うのをやめるだけだ。(p.395)
こうやって本書の内容を少し書き出してみただけでも、現代のデザイナーに求められていることがいかに多いか、思わず目の前がクラクラしそうになってくる。だが、はじめから本書に書かれているすべてを実行しようとする必要はない。パラパラとページをめくりながら、自分に欠けている視点がどこかにないか、宝箱を掘り当てるような気持ちで眺めるだけでも十分だろう。
ちなみにスタンフォード大学の行動デザインラボの設立者B.J. フォッグによれば、意図的な行動が生じるための要素は、(1)行動するための能力を高める、(2)行動するためのコストを減らす、(3)動機を高めて行動しやすくする、の3つだそうだ(p.100)。本書を読むときも、このルールを意識してみるといいかもしれない。
[文]石渡翔
国際基督教大学卒業。株式会社フライヤーにて、書籍の要約の作成・編集から、ブックコミュニティの企画・運営まで、コンテンツディレクターという立場から多方面に携わる。現在は「フライヤー研究所」の所長として、学習デザインに関する知の集積・企画に従事。また、旅する高校 インフィニティ国際学院では、「旅する図書館」館長を務める。