デザインは手段。事業家たるデザイナーの肖像——エムスリーCDO 古結隆介
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デザインは手段。事業家たるデザイナーの肖像——エムスリーCDO 古結隆介

「事業家」という言葉がある。

「起業家」とならび、ベンチャー・スタートアップでは比較的耳馴染みのある言葉だ。

会社を立ち上げビジョンを描くのが「起業家」とするなら、事業を生み出し成長させるのが「事業家」。両方を兼ねる人も少なくないため一緒くたに語られがちだが、そこには明確な違いが存在する。

他方で、「デザイナー出身の起業家」という言葉は聞かれるが、「デザイナー出身の事業家」について言及されることは多くない。言葉が知られているかの問題もあるが、ロールモデルが多くないことにも起因しているだろう。

そこで今回、デザイナー出身の事業家に話を聞いた。2021年4月よりエムスリーCDOを務める古結隆介(こげつ・りゅうすけ)氏だ。同社は医療の領域で数多くの事業を展開し、その時価総額は過去1年で3倍を突破するなど、創業から20年以上経ってもなお成長めざましい日本を代表するベンチャーの一社だ。

その中でCDOの重責を担う古結氏だが、そのキャリアは「いちデザイナー」からスタートした。彼はいかに「事業家」へと変貌を遂げたのか。その歩みを紐解こう。

古結隆介
エムスリー株式会社 CDO(Chief Design Officer)
大阪芸術大学映像学科卒業。株式会社ビズリーチにて、コミュニケーションデザイン室やデザイン組織の人事をメインとしたデザイナーサクセスにてチームマネジメントを担当。2020年4月より医療従事者向けサービスを運営するエムスリー株式会社にて、グループリーダー/プロダクトデザイナーとしてデザイン組織開発やプロダクトデザインに従事。 2021年4月よりCDOに就任。

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「デザインは事業のためのもの」という視点

明確な目標を定めキャリアを歩む人がいる一方、歩みの中で進むべき先を見出す者もいる。古結氏の歩みは、後者に近い。「事業を生み出すこと」に軸足を据えるまでには、短くない時間を要した。

ファーストキャリアは、ラジオ局傘下の制作会社。肩書きはWebデザイナーだったが、彼が入社した2003年頃は、スマートフォンはおろかパソコンすら一人一台もない時代。「Webデザイナーという職種も確立されていなかった」と振り返る。

実際、Webサイトに限らずイベントの企画やチラシ、映像制作に至るまで、ありとあらゆるクリエイティブを経験した。また、制作するものの幅以外にもそこでの経験には特徴があった。ラジオ局という事業会社の傘下ながら、受託案件も手がけていたのだ。

自社事業とクライアントワークを両立させる独特な環境は、「デザインは事業のためのもの」という“事業家の種”のような感覚を植え付けた。

古結「よく、『事業会社か制作会社か』と悩む話を聞きますが、僕はこの時の経験から、やることは変わらないと考えています。事業会社であれば自社の事業成長のため、制作会社であればクライアントの事業成長のためにデザインをする。どちらもその先にいるユーザーのことを考えるという意味では変わらないですから」

この種は、その後転職したUSENで萌芽を見る。

USENで担当したのは、無料映像配信プラットフォーム『GyaO』。大企業の一事業のように見えるが、その中ではいくつかの新規事業の立ち上げが進んでいた。そのひとつとなるメディア事業の立ち上げに携わった経験が、古結氏の仕事との向き合い方を抜本的に変えた。

古結「それまでは、指示通りきれいに打ち返すことがデザイナーの役割だと考えていました。しかし、事業の立ち上げには指示を待つなんて許されない。どのようなサービスをつくり、誰にどんな価値を提供するかといった議論から、企画もディレクションもするのが当たり前でした」

この経験の中で「デザインは事業のためのもの」という考えも解像度が高まっていく。

古結「指示通りに動いていた頃は気づけていませんでしたが、事業から考えればデザインは手段。『どれだけ成長させ、売上を生み出せるか』が重要で『そこにどれくらい貢献できるか』を考えた上で動かないといけない。むしろそここそが面白さだと感じました」

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プロダクトマネージャー集団で鍛えられた、事業家の足腰

その経験のもと、2009年には次なる活躍の場を見つけた。きっかけはGyaO事業が、ヤフーに譲渡されたこと。そのまま転籍する選択肢もあったが、この期にさらなる挑戦環境を求め、エムスリーへと転職したのだ。

といってもエムスリー自体に思い入れがあったわけではない。当初は転職エージェントから紹介された企業のひとつ。そのタイミングではじめて名前を耳にしたくらいだった。

2004年には東証一部へ上場していたエムスリーだが、当時はまだ「知る人ぞ知る」企業。医師の間でこそ知名度があったが、それ以外では決して目立つ企業ではなかった。

しかし、面接で出会う人々に古結氏は衝撃を受けた。エムスリーには代表取締役の谷村格氏を筆頭に、コンサルティングファーム出身者が多く在籍する。古結氏にとって、それは今まで出会ったことのない「異質なもの」だったという。

古結「ある面接官は、ホワイトボードを使いながら事業内容などを説明して下さったのですが、それがとても論理的でわかりやすかったんです。今までそんなに明確に自社の説明を出来る人と会ったことがなかったので、『ここには自分にはないものがある』と強く実感しました。同時に『ここなら得られるものが多い』とも感じ、入社を決めたんです」

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入社当時、従業員数100名足らずの中、デザイナーは4人。こう書くと一見「デザインに力を入れていない」とも見えるかもしれないが、そこには明確な意図があった。

古結「エムスリーがデザイナーに求めるのは、デザインスキルだけではありません。特に重視されるのが、あらゆるメンバーとロジカルに議論ができること。どの職種でもこれは同様で、最終面接でも谷村が直接話し、しっかりと見るほどです」

事業推進力のある人とともに働くのがエムスリーのやり方だったのだ。その分、一人ひとりへの期待も職責も大きい。入社してすぐ、古結氏もそれを実感した。

古結「当時の上長から面と向かって『言われたことをやるだけなら、アルバイトでいい。そんなことは求めていない』とはっきり言われたんです。『打ち返すだけの仕事はもういいな』と思って転職したのですが、一度ついた癖はふとしたときに出てしまう。それを見透かされたのでしょう。デザイナーであっても、事業視点で考え、自ら動かねばいけない。そのスタンスをたたきこまれました」

実際、入社後に任された業務はいわゆるデザインにとどまらない。肩書きこそデザイナーだったが、今で言うプロダクトマネージャー(PdM)の職責を任されることが増えていった。当時はIAというロールだったが、負っていたのはプロダクトや事業のグロースの責任。同じ役割を担っていたメンバーの多くも、現在では事業責任者や役員を務めている。

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古結「突然『メルマガのチームをよろしく』と言われたりするんです。当時の主力事業の『m3.com』には15万人ほどの医師会員がおり、定期的にメルマガを配信していました。僕が任されたのは、そのチームをマネジメントしつつ、会員のエンゲージメントを高める役割。もちろんそんな経験はなかったのですが、やりながら考えるを繰り返していました」

それが回るようになれば、次の事業、次のプロダクトへ。さまざまな役割を歴任していく。そうした中で、無意識にプロダクトマネージャーとしての経験値が積み上がり、事業家としての足腰が鍛えられていった。

ただ、彼が「エムスリーで一番記憶に残った経験」と語るのは、その中にはない。鮮烈な記憶を植え付けたのは、現・エムスリー執行役員VPoE/プロダクトマネージャーの山崎聡氏と手がけた電子カルテの新規事業、『エムスリーデジカル』(以下、『デジカル』)の立ち上げだ。

デザイナー起点で、事業づくりを変えていく

当時、山崎氏はグループ会社を中心に新規事業を担うエンジニアで、一緒に働くのははじめて。その立ち上げプロセスは、今まで古結氏が目にしたことのないものだった。

古結「進め方とスピード感に衝撃を受けました。山崎さんが真っ先にやったのはPowerPointにプロダクトの要件を書いて、ユーザーである医師に見せ、フィードバックをもらうことだったんです。そのフィードバックを元に修正を繰り返し、要件が一定固まるとプロトタイプを作り、またユーザーに意見をもらい、修正を重ねるのを繰り返していました」

今でこそ、このアプローチに珍しさは感じないかも知れない。しかしデジカルの立ち上げに取り組んでいた6〜7年前には「聞いたこともなかった」と振り返る。これは手法論としての新しさだけではない。デザイナーにとっては、マインド面にも大きなギャップがあった。

古結「当時は完成度が低いものを見せるという発想はありませんでした。『中途半端なものを作ったと思われたくない』といった変なプライドもありましたし、『要件を書いただけで、ユーザーが理解できるはずがない』と、決め付けていました」

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PowerPointで作られた要件資料

しかし、医師たちはPowerPointに書いた文章や簡易的なプロトタイプから、プロダクトのイメージを膨らませ、的確なフィードバックを寄せてくれた。その姿を見て、自身が間違っていたと痛感する。

古結「ユーザーと一緒に考えて、課題を見つけ、改善していく。その姿勢が必要なんだと強く感じました。同時に、プロセスを重ねどんどん良いものになっていく感覚にとてもワクワクしたんです。さらには、その結果、満足のいくプロダクトが生み出せた。自分にとっては大きな成功体験にもなりました」

その後、新規立ち上げも歴任していく古結氏。しかし、彼は悶々とした日々を過ごしていた。

古結「『デジカル』の立ち上げで、僕はとても良い経験をさせてもらいました。その良い経験をより多くの人に共有、ないしは全社で展開するにはどうすべきかを悩んでいたんです」

山崎氏と進めた手法は当時では珍しく、社内で提案しても違和感を持つ者も少なくなかった。しかし、その溝を埋めれば事業は着実に前へ進む確信もあった。道を探る中、彼はそのヒントは相互理解にあると見た。

古結「有り体な話ですが、デザイナーがビジネスを、ビジネスサイドがデザインをより理解しお互いを尊重して進められれば、より早く、精度高い事業を生み出せると考えたんです」

特にアプローチすべきと考えたのが、デザイナーだ。自身も当初違和感を感じたように、この進め方はデザイナーにとって衝撃的なもの。しかし、事業視点で考えればよいものになる確信もあった。この壁を越え、多くの人が事業視点でデザインを扱えるようになれば、自然と「デザインに価値がある」とビジネス側も理解すると考えた。

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デザイナー起点で、事業づくりを変えていく。そのために、デザイナーを変える。

もはやデザイナーの領分ではないが、事業視点で物事を捉える事業家として捉えれば合点がいく考え方だ。

そんな折、ある人物に出会う。ビズリーチ(現・VISIONAL CDO) の田中裕一氏だ。当時、デザイン本部 本部長として同社のデザイン組織の改革に乗り出しており、同じ方向を向いていると感じた田中氏に、古結氏は自身の課題感やなすべきと考えるアイデアを共有した。すると田中氏は思いがけない言葉を口にした。

古結「『ビズリーチでなら、それできますよ』と言われたんです。当時のエムスリーは社員300名ほどに対してデザイナー10名、一方のビズリーチは社員800名ほどに対し80名ものデザイナーが在籍しており、変化を起こしやすいのは明らかでした。かつデザイン組織の組成も進んでおり、存在感も出てきていた。その言葉には強い説得力がありました」

もちろん、エムスリーの環境には不満もなく、転職も考えていなかった。ただ「デザイナー起点で、事業づくりを変える」のは自社でなくとも実現できるテーマ。インパクトを最短で出る場があるなら、そこで形にしてみるのは経験になる。そう思い、自らが必要と考えることに突き進んだ。

デザイナー組織を再編してほしい

ビズリーチにジョインした古結氏は、コーポレートブランディングやプロモーションを担うコミュニケーションデザイン室のマネジャーと、人事機能を持つデザイナーサクセスチームを担当。

こと、デザイナーサクセスチームの仕事は、デザイナー起点で事業づくりを変える上では重要な経験となる。同部署のミッションは、その言葉の通りデザイナーたちの成長を支援すること。主に教育・研修制度を担当した。「やりたいと思っていた仕事そのもので、とても充実していた」と当時を振り返る。

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しかし、それも2年半で幕を下ろす。自らエムスリーに戻る決断を下したのだ。きっかけは、エムスリーで人事を務める友永真弓氏から「デザイナー組織運営のアドバイスがほしい」と相談を受けたことだった。

古結「当時のエムスリーが抱えていた課題を聞き、アドバイスをしただけでした。その場で『戻ってきてほしい』とは一切言われていません。ただ、友永は笑って否定しましたが、あれは確実にジャブでしたね(笑)」

友永氏が語った内容はこうだ。古結氏がエムスリーを退職した後の2年ほどで、デザイナーの数は「増減無し」。採用もしたが退職者もいたためだ。一方、会社の成長角度は上がり、開発を担うエンジニア組織は順調に拡大。年1〜2つのペースで新規事業が生まれ、月に1〜2つは新たなプロダクトが立ち上がる状況。デザイナー不足が事業のボトルネックになりつつあった。

この状況は、単純なリソースの補填では打破できない。後に、正式に復帰を打診されることになった古結氏も「僕一人が戻ったからといって、問題は解消されない」と一度は申し出を断っている。しかし、エムスリー側もそれは理解した上。真意は別にあった。

古結「『デザイナー組織を再編してほしい』と言われたんです。いちデザイナーとしてではなく、組織から抜本的に変えたいと。エムスリーのデザインに対する本気度を垣間見ました」

2〜3ヶ月は一人で悩み抜いた。ビズリーチも道半ば。田中氏が歩んできたような組織を作る道を、自分も切り開けるのかという不安もあった。しかしビズリーチで一定検証できた価値もあり、エムスリー内に展開することによる事業的インパクトも予想ができた。事業家としての嗅覚が、再びエムスリーへと彼を引き寄せた。

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仕組みも人もポジションも

2020年4月、復帰した古結氏がまず着手したのが組織力の強化だった。

リソース不足は明らか。ボトルネックも解消しなければいけない。ただ、採用は短期的な成果は見込めないし、古結氏が事業にコミットしてもカバーできるリソースも限られる。

それらも動かしつつだが、今いるデザイナーがより効率的に働き活躍できる仕組みを構築する方が短期的には最短距離だと考えた。様々な施策を打ったが、その一例として教えてくれたのは、ノウハウやナレッジを横展開する仕組みづくり。背景には、事業に向き合う人材が揃っているからこその弊害があった。

古結「エムスリーのデザイナーは担当事業への意識がとても強いんです。これは逆に言うと、担当事業以外は目に入らないとも言える。特に他のデザイナーや事業の動きにはほとんど意識を割けていなかったんです。結果、事業Aで半年かけて作ったクリエイティブや仕組みを、事業Bでも同じように半年かけて作っているといった事象が起こっていた。ただでさえリソースが足りないからこそ、効率化は重要課題。それをデザイナー陣に浸透させなければいけないと考えました」

最も効果があったのは「組織での課題解決」を個々人の目標にまで落とし込んだことだ。個人が持つ目標のほとんどは、担当事業に関するものだった。しかし、結果に対する意識が強いメンバーだからこそ、そこに「組織力向上への寄与」を追加するとチームの意識は明確に変化。大きな推進力が生まれていった。

2020年10月には、CDOポジションも新設。このポジションは対外的にもデザインへ力を入れる意思表明になった。就任したのは、古結氏との関係も深く、経営陣・社内からの信頼も厚い山崎氏だ。

もちろん、リソースの拡充も力を入れた。採用要件が決して簡単ではない中、10名しかいなかったデザイナーは、1年で14名にまで増員する。また、これまでアプローチしてこなかった手法として、外部パートナーとの連携にも力を入れた。

エムスリー自身、いままでは内製中心だったと言うが、デザイナー人材の流動性を考えると、雇用形態にこだわることは機会損失にもつながりかねない。そこで業務委託の仲間も徐々に増やし、現在では計29名のデザイナーを擁するまでに拡大していった。

デザインは笑顔のためのもの

これらの取り組みが評価され、2021年4月に古結氏は2代目CDOに就任する。

ただ、実はCDOの打診はこれがはじめてではない。エムスリーへの復帰を打診されたタイミングでも「CDOを目指してみないか」と話題に上がっていた。しかし当時は「まだ早い」という感覚が強かったと言う。それを受けたのは、どんな心境の変化があったのだろうか。

古結「さまざまな企業のCDOにお話を聞いてみていたんです。当時の僕は復帰後1年かけ組織の基盤はできた感覚があったものの、その後どう運営していくべきかが見えていなかった。皆どうしているのかと思ったんです。

話を聞く中で感じたのは、皆さん『デザイン業界をどうしたいか』『この会社をどうしたいか』という視点で取り組んでいることでした。当時の僕は“組織”を背負う自覚はあったものの、業界や会社を背負っている認識は持っていなかった。この視座の違いは大きいと考えました」

それを踏まえ、改めて自分は何を成したいのか自問した。そこで見いだしたのが、「自ら事業を生み出したい」という事業家の根底とも言える想いだった。どのような形であれ、CDOとして得られる経験は絶好の武器になる。そう考えたうえでの就任だった。

キャリアを見ると事業への意識が一貫しているようにも見えるが、その実本人の「気づき」は決して早くはなかった。すると彼は“事業”への想いは無意識だったのだろうか。そう問いかけると、すこし間を置いて考えた上で、こう答えてくれた。

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古結「強いて言うなら、家庭環境があるかも知れません。両親とも経営者で、幼少期から商売が身近だったんです。そして、僕の中で商売は“笑顔”と強く結びついていた。ふたりとも人を笑顔にするため、誰かに喜んでもらうために商売をしていると感じていたんです。

もちろん大変なこともあったと思うのですが、子どもの目線では2人とも楽しそうに働いていて、『これなら人を笑顔にできる』と思うことを仕事にしているように見えました。そんな姿を見ていたので、自分も事業を通し誰かを笑顔にしたいと感じていたのだと思います」

古結氏の原動力は、そんな純粋な想いだ。だからこそ、自然と事業に興味を持ち、自然と事業家としての道を歩んできた。ここまで彼を事業家と紹介してきたが、言うなれば彼にとっては事業も“誰かを笑顔にする”手段なのだろう。

だからこそ事業領域にもこだわらない。この事業ならより多くの人を笑顔にできる──そう感じた領域にコミットしているのかもしれない。

古結「よく、医療をやっていると『そこに強い原体験があるのか?』と聞かれるのですが、特段そういうわけではないんです。もちろん、医療には本当に多様な課題が存在しますし、病院にかかればそれを強く実感します。これを解くことの意義は大きな意義がある。そう感じられるのが一番の理由かもしれません」

課題が大きいほど、解くことで「笑顔にできる人」は増える。そんな古結氏だからこそ「デザインは事業のためのもの」と言い切れるのだろう。

古結「デザインが持つ力は信じています。しかし、僕にとってそれは、事業や会社のミッションに寄り添うためのもの。目指すべきは事業を通して人を笑顔にすることですから」

最後に問いかけた「目指す組織像」という問いにも、古結氏らしい答えを返してくれた。

古結「事業づくりを通じて、たくさんの笑顔を生み出す組織。そして、デザイナー自身が笑顔で過ごせる組織をつくっていきたいです。僕はよく『あなたにとっての成功体験は何ですか』と聞くんです。それは、笑顔で働き続けるのに成功体験が欠かせないから。もちろん、成功の形は人それぞれでいい。ただ、メンバーの成功をデザインし、成功できる組織をつくっていきたいですね」

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[文]鷲尾諒太郎[編]小山和之[写真]今井駿介

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