CDOとしてリスクを取る。デザインを通した価値創造をするために——ビズリーチ CDO 田中裕一
経営にデザインを取り入れる必要性が、この数年で強く語られるようになった。
「ビジネスにデザインが貢献する」「デザイナーのプレゼンスを向上する」言葉はさまざまだが、いずれもデザインをビジュアルを作る仕事として狭義にとらえず、より多様な価値を生み出すものとして捉えなおす必要性を訴える。
その価値認知が最高意思決定レベルまで上り詰めた状態が、経営へデザインを取り入れた状態だ。「『デザイン経営』宣言」では、“イノベーション”と“ブランド構築”の2つの観点から、その価値が述べられている。
ただ経営層で活躍するデザイナーはスタートアップを除くといまだ一握り。まだ変化の兆しが見え始めた段階にすぎない。
その中、今年8月ある企業がCDO(Chief Design Officer)を設置し、経営からデザインへ取り組む姿勢を明確にした。HR Tech領域でサービスを展開する、ビズリーチだ。
これまでも同社はデザイナーの組織作りや待遇、教育制度、情報発信などの面で先進的な取り組みを行ってきた。その流れの中で、この8月CDOの設置へと踏み切った。重責を任されたのは、デザイン本部 本部長を務める田中裕一氏だ。
ただ田中氏にとって、CDOはあくまで描くロードマップのうちの1つにすぎないという。ビズリーチにおいてデザイン戦略を描き、その道を一歩ずつ歩んできた同氏が、これから描く未来図を探っていこう。
田中裕一
株式会社ビズリーチ CDO/デザイン本部 本部長UXデザイナー / デザイン戦略家。企業のデザインマネジメントやデザイン戦略を行う。HCD-Net認定 人間中心設計専門家。制作会社、株式会社ディー・エヌ・エーを経て、2017年4月に株式会社ビズリーチへ参画。事業づくりを通じてデザインのチカラで世の中の課題解決と価値創造を成し遂げるため、CDOとしてデザイン戦略を計画・推進。
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デザインをビジネスと接続し、価値証明をする
田中氏のロードマップを語る上で、前職DeNAでの経験は外せない。
2012年、田中氏は中途でDeNAへと入社した。入社時のミッションは、事業部内のデザイン組織を立ち上げること。3年後には80人規模となるUXデザイングループを立ち上げた田中氏だが、この経験は自身がデザインと向き合う上で重要な起点となった。
「当時私が配属されたEC事業の組織はデザイナーのプレゼンスが低く、デザイナーのチームが私の入社前に解体されたばかりでした。“不要”というレッテルを貼られ壊されたものを、理解を得つつ“再構築”する仕事です。デザインはなぜ必要か、事業へどう貢献できるかを考え続ける大きなきっかけになりました」
組織作りにあたり、デザインがいかにビジネスへ貢献できるかを伝えるため、事業のKPIを分解、デザイナーが貢献できる可能性を洗い出し、担える役割を明確化した。その貢献余地を数字で語れる状態を用意し、ビジネス側・デザイナー双方と会話を繰り返した。
「マイナスの状態から社内でデザインのプレゼンスを上げるには、事業にどう貢献できるかを可視化するしかない。数字での価値証明が強く求められる環境でしたから、デザインがビジネスのどこに貢献できるかを彼らの文脈に沿って説明し続けました」
定量的な指標で価値を証明し、一定のプレゼンスを得るために2年近くかかった。
その後、田中氏は質的な価値向上にも取りかかる。UXデザインの手法を用いて、ユーザーの声から定性的な価値を拾い上げプロダクトへ反映することへ尽力。大規模リニューアル・リブランディングを経て、3年経った頃には定量・定性の双方でデザインの価値が一定認知されるまでたどり着いた。
デザインを通した価値創造への葛藤
ロードマップが目指す先との出会いはこの頃だった。
「3年かけ、達成度は70%くらい。まだまだやることは残っていましたが、それと並行しデザイナーが次の価値発揮のレイヤーを目指すためにはどうすべきかを考えはじめました」
デザイナーのプレゼンスを向上する。ビジネスにおいてデザインが有用と証明する。その次の打ち手が必要だった。そこで導き出したのが、デザインを通した価値創造だった。
「デザインが事業の中に存在感を示しはじめ、もう一歩踏み出そうと思った時、次にやるべきは、イノベーションモデルの創造でした。シリコンバレーをはじめとする海外のように、デザイン思考等のアプローチで事業作りや課題解決、価値創造を実現し、デザインの可能性を広げる。それこそがデザインの次なるフェーズだと考えました」
いまでこそ、デザイン経営が“イノベーション”に資すると整理されている。
しかし、当時それを実現するためには人も知識も不足していた。それを是とする文化もまだ存在しない。社会的文脈、環境要因、様々な要素が立ち塞がる。
踏み出すには、難題が多すぎた。
社会的にもまだデザインの重要性が強くは語られず、後押しする機運は高まっていない。その中でできることは限られていた。自身が描くデザインの可能性を広げるアプローチに対し、それを実現できる環境を探すのは難しいことに気づく。
その時考えたアプローチは、自らがデザインの力で事業を作り、サービサーとしてデザインの価値証明をすることだった。
「20-30年かけ、その価値証明を使命にしよう」
そう田中氏は考えた。組織の中だけでは変化を起こすにも限界がある。自身が社会と向き合い数十年スパンで証明していく他ないだろう。そう考えた田中氏はDeNAへ退職の意を伝える。2016年終わりのことだ。
これが田中氏が描く、ロードマップの先となる。
いい血が流れる環境があった。後は戦略が必要だった
退職を決意し、準備を進めていた田中氏を待っていたのは意外な展開だった。それが、ビズリーチという選択だ。
「退職が決まったあと、たまたまビズリーチの取締役とお話しする機会があったんです。そこで、『自分は日本のイノベーションモデルを変えたい。デザインの可能性を正しく定義し、価値創造に取り組むため独立してやろうとしている』と話をしました。すると、『それ、うちでやらない?』とお話をいただいたんです」
当時、田中氏の中ではビズリーチは人材領域の企業というイメージが強かった。デザインを通した価値創造とは遠い存在にも見える。
しかし、話をするうちに企業の芯で持つ価値観は近いものがあると感じるようになる。
「話を伺っていくと、どうやらビズリーチはデザインやエンジニアリングといったテクノロジーを用いて、世の中の課題を大きく解決していこうとしている。実際ミッションには『インターネットの力で、世の中の選択肢と可能性を広げていく』と掲げ、事業領域も広げている。描く未来図は近いのではと徐々に感じるようになったんです」
目指す方向性は近い。アプローチとしても、デザインやエンジニアリングを据えている。加えて、経営陣はデザインの重要性は理解し、プロダクトやコミュニケーションすべてを内製化するため、40人近いデザイナーを擁していた。
ただ、状況だけで環境の善し悪しは判断できない。半信半疑だった田中氏は数ヶ月、その環境に身を置き、確かめる期間をもらった。
「『デザインに力を入れる』というのは簡単です。それが実際に実現し得る環境なのか、確認する期間をもらえないかと相談したんです。その期間を使いさまざまな施策を試しつつ、役員陣とも会話を繰り返し、可能性を探らせていただきました」
この期間で、田中氏はビズリーチの可能性を感じた。鍵になったのは教育への投資だった。美大やデザイン系学校では、授業の中でビジネスと接続する機会をほぼ得られない。結果、即戦力にはならず、入社から数年間は先行投資期間になっていた。そこで、入社と同時に数ヶ月実践的な研修をする機会を提供できないかと田中氏は考えた。
教育は短期的に成果を測りづらく、積極的に投資がしやすい分野ではない。それでも経営陣は止めることはなかった。
「成長途上の事業会社において、教育は一番投資をしづらい分野です。それでも、経営陣は課題感と必要性を理解し、積極的にやろうという判断を下した。デザインに力を入れる土壌は整っているなと確信しました」
「いい土もあり、きれいな水も流れている。ただデザインの戦略が整地されておらず、広い野原を各々が耕しているような状態」だと田中氏は当時の状況をたとえる。経営戦略に紐付けたデザイン戦略があれば、大きな推進力を持ちデザインでの価値創造へ挑めると考えた。
戦略を描き、組織へと落とし込む
「20-30年かけてやろうとしていたことが、5年でできるかもしれない」
2017年4月。ここから田中氏のロードマップは動き出す。入社直後、田中氏はデザイン部署には入らず、CPO(Chief Product Officer)室配下に独立して身を置いた。
経営戦略にデザインを入れ、よりイノベーティブな会社にしていく——そのために、田中氏がまずやるべきと考えたのは、戦略を練り、多様なステークホルダーを巻き込むことだったからだ。
「取締役直下で現状の経営課題を分析。中期的に必要になるであろうデザインの戦略的アプローチからデザイン戦略を描き、関係者を巻き込んでいくことを行いました。予算もここで生み出し、動き出すに当たっての基盤を整理する時間をとったんです」
約半年、単独行動で、ビジネス、サービス、テクノロジー、プロダクト、広範におけるデザインを見渡した。その後、田中氏が取りかかったのは、デザイン組織の独立化だった。
「まずはカンパニー内にあったデザイン組織を切り出し、全社横断組織へ組成しなおしました。同時にデザイン部門を3部門創設。これまで事業部で行っていたサービスに携わる『プロダクトデザイン』の部門と、マーケティングやブランディング等を担当する『コミュニケーションデザイン』の部門、そして狭義なデザインを一切行わず、全社の戦略にデザインでアプローチする『デザイン戦略室』の3つをここに集約しました」
中でもデザイン経営上重要な役割を担うのが『デザイン戦略室』だ。デザインの資産の開発、知的財産戦略、企業やサービスブランドの開発、人材開発、採用戦略、環境整備、広報、ブランディング…。人事等社内の他部署とも連携しつつ、全社における“デザイン戦略”を包括的に見る役割を一手に担った。
デザイナー向けに整備された、設備や書棚類
組織化は、タイミング的にも意図があった。当時のビズリーチは900人を超える頃。1,000人を超えると事業ごとでの最適化を図る動きが強くなることを田中氏は身をもって経験していた。
部署ごとの部分最適が強まり、デザイナーとしての成長が阻害される場面や、挑戦できる業務範囲が狭められ、退職リスクが高まる恐れもある。デザイン戦略での全体最適がしづらくなる前に、独立部署としてデザイナーを引き上げる狙いもあった。
リスクテイクする「機会」と「責任」
独立組織化から半年。次のフェーズも企業の変化とともに訪れた。今年8月のCDO設置・組織改変だ。
ロードマップでは入社から2年はかかる想定で計画していた。ただ、クリエイティブ人材による産業の牽引が徐々に起こり始めていたことなど社会変化を受け、想定よりも早く、前へ進む運びとなった。
「以前から、計画の中にはありました。それが社内のクリエイティブ人材を重視する文化、社会状況の変化を受け、このタイミングで、経営上デザインやテクノロジーによる価値創造へ力を入れる判断を行った。それがCDO、CTOの設置です」
CDOの設置は田中氏にとって、重要な一歩だ。経営レイヤーに入ることは、通らざるを得ない役割だと考えていた。
「デザインが大事だと叫んでいるだけでは、本質的な変化は生めません。価値をただ訴え続けるだけでなく、経営に対し責任を持ち、大きなリスクテイクをすることが大きな価値を生むことへつながる。CDOの設置は、デザインがビジネス上でリスクテイクの判断をできるという意味でもあるんです」
大きなリスクを選べるポジションになった。それは同時に、大きな責任を持つことにもつながる。
「CDOである以上、これまで以上にビジネスと数字を見ることも必要不可欠になります。適正な投資ラインを自ら決め、責任を負うことが仕事ですから。デザインに対して投資を行うなら、それが短期的・中長期的にどのような価値を発揮するかを見極め、時にはシビアに判断を下さなければいけない場面も出てくるでしょう」
その責任は自らの管轄下はもちろん、他の経営陣への説明責任も含む。ビジネスサイドの役員や事業長に投資の妥当性や管轄範囲における活動の有用性を説き、デザインの価値を可視化し、いかに全社へ認知してもらうかも大きな役割のひとつとなる。
「デザインの言葉をいかにビジネス言語へ翻訳するかが重要です。ただ難しいのは、ビジネスの方が理解できるレベルまで咀嚼しなければいけない文脈と、咀嚼してはいけない文脈があること。論理だけでは必然性を述べられない瞬間も出てきます。時にはその必然性を『これはやっておいたほうがいい。絶対に価値がある』と伝え、人の心を動かす力も必要です。想いと論理、ビジョナリーとストラテジーとブレーキのバランスを見極め、周囲を巻き込み組織を大きく動かす力は今後ますます求められてくると思っています」
CDO、デザイン組織、土台は揃った
CDO設置とともに、田中氏はデザイン組織の改編も行った。CDO直下にデザイン本部を設置。経営レイヤーからデザイン戦略の執行までを一気通貫でできる状態を用意した。
「今回、デザイン本部には『デザイン戦略推進室』『ブランド戦略室』『エクスペリエンス戦略室』『プロダクトデザイン室』『コミュニケーションデザイン室』の5部署を設けました。元の3部署を土台に、デザイン戦略に関するファンクションを強化。デザイナーだけで無く、ビジネスサイドのメンバーも配置しました。デザイン戦略を経営から執行に移すために必要な機能をここに集約した形です」
デザイン本部の組成と合わせ、田中氏は『We DESIGN it.』というフィロソフィーを制定。そこから「Experience Driven」「Creative Excellence」「Make Brand」という3つの戦略テーマへと落とし、デザイン本部の行動指針とともに、ビズリーチにおけるデザイン戦略が向かう方向性を掲げた。
「この三つをデザイン本部が体現するためにこういった組織構造を作って全社にアプローチしていく。これはデザイン本部の価値観なんですが、将来的には会社全体に浸透する価値観にしなければいけません。そのときビズリーチはよりイノベーティブな会社になると考えています。この会社の体質をさらにイノベーションを起こせるような体質にするために我々がアプローチをしている。その第一歩です」
組織、ポジション、より大きなうねりも生み出す土台は整ったようにみえる。しかし、この現状を「目標に対しては半分にも満たない」と田中氏は語る。
「現状はまだ道半ばに過ぎません。山に例えるなら2合目を歩いていた状態から、一度バスに乗り5合目まできたようなものです。ここからデザインを通しいかに競合優位性を作れるか、社会の課題解決に寄与できるかなど試行錯誤を繰り返していかなければいけません」
そして、田中氏が見据えるのはその先にある、デザインを通した価値創造だ。
「この2018年でも、価値創造やイノベーションの事例は決して多くありません。現状でも難しいといえる材料も多い。ただ、私が信じなければ、誰が信じるのかという話ですから。トライ&エラーを繰り返し、変化を重ねながら、継続的に挑み続けなければいけないと考えています」
田中氏が見るのはビズリーチだけでの、価値ではない。ビズリーチで事例を作り出すことを通し、デザイン業界のベンチマークになり、業界全体としてデザインによる価値創造のサイクルを生み出さなければいけないと考えるからだ。
「デザインが生み出す価値を証明し、世の中で価値観を変えるには一企業だけでは到底無理です。どこかの企業が実績を出し、同じようにやってみようという多くのうねりが必要になる。そのうねりがつながることで止められないうねりが生まれ、デザインに対する価値観がシフトしていく。ビズリーチはその一端になる必要があるんです」
Text: Kazuyuki Koyama
Photo: Shunsuke Imai