デザイン読書補講 11コマ目『CasaBRUTUS 柳宗理』
こんにちは。中村としては4回目のデザイン読書補講となります。今回のテーマは前回のデザイン読書補講を終えて、ふと思い出したものを扱います。
いまから10年前の年暮れ。まだはじめて間もなかったあるSNSをみていると——My Dear friend and teacher Sori Yanagi has passed away this Christmas day——と、ひとりのデザイナーの最期が綴られていました。柳宗理(1915—2011)さん。日本を代表する工業デザイナーであり、前回のデザイン読書補講で扱った柳宗悦のご長男です。
それにつづきましょう。今回は『CasaBRUTUS特別編集 新装版 柳宗理』(マガジンハウス, 2008)を扱います。もともとは2001年2月号として発刊されていたものを基にムック化されたものです。
モダンデザインのリバイバルと今日まで
「いいデザインって、なんだとおもいますか?」と、さまざまな方に尋ねれば、かなりの確率で「シンプル」とか「機能的」というキーワードが出てきます。今回、取り上げる柳宗理さんの仕事——カトラリーやキッチン器具、家具など——もまたそうした文脈で評価されています。
こうした回答の傾向について僕自身、否定も肯定もしませんが、このようなモダンデザイン的価値観が漠とながらも確実に共有されていることは、なかなか興味深いこと。いつ頃からこうした意識が生まれ、現在に続くのでしょうか。思い当たるところから、少し振り返ってみます。
2000年前後、少なくとも日本国内はデザインブームともいえる状況にありました。そこでは世紀の変わり目ということも影響したのか、あたかもそれまでの100年を総括するように、モダンデザインの再評価が目立ちました。
ここでいうモダンデザインとは、20世紀の始まりとともにその骨子ができ、第二次世界大戦後に成熟をむかえているデザインの様式・思想のことです。そこから時代が進むごとに、モダンデザインの「その後」を自負するデザイン——例をあげればメタボリズムに、ポストモダン、そして脱構築主義……などなど——進化論よろしく、幾度もモードチェンジが続きました。
しかし世紀の終わりをむかえ、近代デザインがはじめて過去を振り返える機会が、訪れることとなります。それまで、ほぼ10年周期でむかえていた新たなるデザインの登場。そうした動きに振り回されることに「もう、これでいいじゃない」という具合に、どこか疲れもあったのかもしれません。
また日本国内の場合、高度経済成長からバブル経済と右肩上がりを続けたあとの、失われた10年の最中。進化の停滞は実感としてあったはずです。そうした意味で、この時期にあったモダニズムのリバイバルは、原点回帰のようなイメージさえありました。さらにはそこで時計の針をもどす基準となったのが、20世紀半ばのデザイン様式であったことも興味深いところです。
さて、このデザインブームのおもしろかったところは、いわゆる専門家界隈ばかりでなく広い範囲で認知浸透したことにあります。芸能人やスポーツ選手、経営者たちがチャールズ・イームズやアルネ・ヤコブセンらの家具を手にし、その様子をメディアが大体的に紹介。モダンジャズにボサノヴァ、モータウンなど、同時代世紀半ばの音楽もまた再評価され、コンピレーションアルバムや、影響下にあった音楽家たちのグラフィックスにはHelvaticaやFuturaといった20世紀の名作活字書体が踊り、意匠もまたその時代の雰囲気をまとっていました。
同時期、パーソナルコンピュータに、Adobe IllustratorやPhotoshopといったDTPアプリケーションが普及したことも手伝って、専門教育を受けてないデザイナーも一気に増加することになります。そこで参照されていたものもまた、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンのような20世紀半ばのデザイナーたちであり、彼らによるデザインの設計思想は、そのままこうした造形アプリケーションの構造に直結していました。
当時、デザイナー界隈にマッキントッシュが普及したのは、その躯体やインターフェース、エクスペリエンスといったプロダクトのデザインもさることながら、Helveticaがバンドルされていたから……という、まことしやかな噂もありますが、おそらく事実でしょう。モダンデザインの理想のひとつであるデザインの大衆化は、世紀の終わりをむかえ——まさにモダンデザインの様式を再びまといながら——ようやく受容されたのかもしれません。
アップルの復活、また無印良品は一層、デザインとの結びつきを強調するなど、いわばモダンデザインキッズに位置する界隈の活躍も目覚ましいものがありました。ほかにも原研哉さん、深澤直人さん、佐藤卓さんによる『デザインの原型』(デザインギャラリー1953, 2002)をはじめ、おなじく深澤直人さん、そしてジャスパー・モリスンさんによる『SUPER NOMAL』(アクシスギャラリー, 2006)、日本デザインコミッティーによる『DESIGN WITH RESPECT 心から尊敬するデザイン』(松屋銀座, 2006)といった企画展示、また映画『Helvetica 世界を魅了する書体』(ゲイリー・ハストウィット, 2007)など、20世紀のモダンデザインをアーカイブし、そのなかで「名作」として後世に残すべくものを決定してゆく——あるいは編纂してゆく——動きも顕著にみられました。
当時、若者の立場で過ごした自身としては、ポストモダン周辺のデザインは、まるで負の遺産のようにも認知され、さも「なかったこと」のように扱われていることもまた対照的であり、象徴的にみえていました。
何を語ったのか——そして、それ以上に何を語らなかったか——そこに時代の姿勢は顕著に現れるものです。いつしか「ミッドセンンチュリーモダン」というラベルも生まれ、モダニズムの成熟期にあった20世紀中頃のデザインは、ファッション的な性格も含みながら盛りあがりをみせました。そうした2000年11月に『カーサブルータス』(マガジンハウス)は月刊化。それまでデザインや建築を扱う雑誌といえば、専門家対象のものばかりでしたが、ここにきて、一般向けデザイン誌ともよべるカテゴリが誕生します。月刊化最初の特集は「バウハウスなんかこわくない。」、そしてそれに続いたのが「SORI YANAGI A DESIGNER 柳宗理に会いませんか?」でした。
おもに家具や周辺プロダクトがその中心となったブームの文脈のうえで、日本におけるミッドセンチュリーの最適な人物を重ねた結果、浮かびあがったデザイナーが、柳宗理さんだったのというのも想像に難くありません。当時はご存命であり、1998年に行われたセゾン美術館での回顧的な展示から日が浅かったこともあるでしょう。
さて、前置きがやや長くなりましたが2021年の今日、モダンデザインはいまだに基本的な意匠・構造として、デザインの中心にあります。しかしそれは20世紀のなか脈々と続いてきたものというよりも、こうしてある時期にリバイバルされ、現在はそれ以降の時代にあるとみることもできます。こうした世紀の節目、モダンデザインの時代、そしてリバイバル時代の当事者であった柳宗理さんは、なにを語ったのでしょうか?
民藝のモダンデザイン化
本誌には8ページに渡る柳宗理さんへのインタビューが掲載されています。宗理さんご自身から、バウハウス、ル・コルビジュエ、民藝、そして無意識の美(アンコンシャスビューティー)について、そして徹底的に手を使う自身のデザインプロセスについて語られています。
このインタビューのほか、実物大の石膏模型を試行錯誤しながらデザインを完成させてゆくプロセスも紹介されています。スケッチや図面が先行するのではなく、執拗に模型を用いて検討を進める設計過程。「模型を作って、手で考える。手に答えがある」——ここのリード文が紹介するとおり、身体性を研ぎ澄まさせながら、最適なありかたを模索していることが伝わります。
それは熟練の陶工が土とろくろを駆使しながら、手の経験を基準に成形してゆく工程と、なんら変わりないでしょう。僕自身の拙い経験を比較してもしょうがないのですが、僕もまたグラフィックスであれば原寸大のプリントアウトを、展示空間などであれば模型による検討を心がけています。実際のスケールや立体空間から得られる情報量の多さは想像以上であり、最適化せんと身体感覚が覚醒し、反応してゆく。
父 宗悦は手仕事、息子である宗理は工業デザイン——ときに対象的な解釈をされることもありますが、その姿勢や工程をみれば、同じことがおこなわれています。宗悦の時代にはまだ未熟だったかもしれない工業生産も、宗理さんの頃になれば、それは民の道具をつくるにふさわしい手法となっていたはず。宗理さんの仕事は、モダンデザインに内包される工藝性、そして民藝に内包されるモダンデザイン性を具現化し、まさに工芸や民藝をモダンデザインとしてアップデートした結果といえます。
そもそも工業生産と手仕事の境目とはなんでしょうか?本誌でもバタフライスツールやステンレスケトルの製造工程が掲載されています。そこでは専門の職人が、手仕事で丹念につくられる様子が紹介されている。工業生産でありながら、その実際はたしかに手仕事でもあるのです。工業生産となると、ともすればブラックボックスのように捉えられかねませんが、その境目は非常に曖昧です。なにごともアナログワーク、ハンドワークには精緻な再現性が求められ、それは身体をデジタル化・工業化しているともいえます。
一方でデジタル化・工業化が目指すさきは、アナログな身体感覚です。たとえるなら金属活字(活版印刷)は非常にデジタル的な構造を持っていますし、その基礎構造は現在のデジタル環境に脈々と続きます。また現在のデジタル制作環境が目指すことの多くは、それ以前から存在する身体性に基づく「かた」の再現でもあるでしょう。宗理さんの仕事は、かつて手仕事の職人が一手におこなっていた工程を、近代の分業化のなか適切なかたちに整理したようにみえます。
本誌にも掲載されている雑誌『民藝』における宗理さんの連載『新しい工藝 / 生きている工藝』(1984—1988)をみれば、まさに工業製品が当然となった時代における「工藝的なるもの」あるいは「民藝的なるもの」が紹介されています。そこはブラウンの電卓、ハンス・ウェグナーやアルネ・ヤコブセンの椅子、ルクリントの照明器具、ケメックスのコーヒーメーカー……というように、現在のわたしたちがモダンデザインの傑作と認識しているものもあれば、デニムジーンズにジープ、亀の子たわし、化学実験用蒸発皿のように、ふだん目にしつつも「いわれてみれば!たしかに!」と納得させられるもの、それからパンの造形に子供がつくったケーキ、長大橋、ボラードと宗理さん独自の美意識が伝わるものが紹介されている。
さて、前回のデザイン読書補講でも引用した柳宗悦による『工藝的なるもの』を、あらためて紹介します。
「新しい工藝/生きている工藝」で紹介されたほとんどは工業生産品であり、現代における「工藝的なるもの」の再定義、更新をせんとする宗理さんの意図が伝わります。冒頭でも触れたように2000年代に入れば、世間のデザインブームのなか、モダンデザインの名作たちがアーカイヴされることになります。宗理さんが80年代に試みられていたことは、それを先行しているといえますし、なにより単なる回顧ではなく、そこに「工藝的」という軸がみえることに深度の違いがあります。漠然と名作ととりあげるばかりでなく、基準が明示されていたことで、その理由と、その先のありかたが想像できる。いずれにせよ、20世紀半ば、あるいは80年代に宗理さんが投げたボールが、ようやく2000年代になりキャッチされたのではないでしょうか。
2000年代のデザインブームの最中におこなわれた『CasaBRUTUS特別編集 新装版 柳宗理』掲載のインタビューは、2020年代の今、あらためてデザインに内包される工藝性やこれからのモダニズムについて示唆するところがおおい。本誌で語られているデザインの姿勢は、まさにそれを体現されているもの。そして宗理さんのいうアノニマスデザインとは、何もシンプルなかたちばかりではなく、手をはじめとした身体が知っている脈々とつづく「ありかた」を模索した結果なのではないでしょうか。そうした工藝的なる時間を工業生産で再現することが、宗理さんの仕事であったといえますし、宗悦——宗理親子二代の時間をかけ成熟した結果であるともみることができます。
21世紀はじめに起こったデザインブームは次第に落ち着きましたが、現在もなお宗理さんによるカトラリーやキッチン用品、家具のたぐいは百貨店や雑貨店で容易に手にできます。民藝的、あるいはモダニズム的というのは、なによりこういうことなのかもしれません。
最後に僕個人のはなしをすこし。上京が決まった2004年の春。下宿の物件を決めたあと、四谷にある柳ショップを訪ね、やかんと片手鍋を母に買ってもらいました。以来、数度の引っ越しをしながらも、このふたつはあたりまえにずっとキッチンにいます。片手鍋は楕円形ゆえ吹きこぼれにくく、やかんは早い時間でお湯が沸く。だから調理のあいだ「このくらいの仕事ができるな」とか「いまのうちに洗濯物を取り込もう」とか。そうして自分自身のサイクルもすっかりとできあがっている。ものからうまれる、風景とたたずまい、そして行動に時間——すっかりと自分自身の生活とそのリズムが、宗理さんにデザインされていることに気づき、おもわずにやりとしてしまうのです。
さて今回は、『CasaBRUTUS特別編集 新装版 柳宗理』(マガジンハウス, 2008)を参考にしながら、柳宗理さんを通じてモダンデザイン、そしてそこに内包される工藝的なるものについて考えてみました。デザインを志すみなさんのヒントになれば幸いです。それでは次回もまた、よろしくお願いします。