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受け手を「信頼できていなかったのかもしれない」映像作家 cog石川将也が見る“優しいデザイン”

『ピタゴラスイッチ』『2355/0655』をはじめとするEテレの番組、大日本印刷の『イデアの工場』……2019年までクリエイティブグループ「ユーフラテス」に所属し、著名作品の数々に携わってきた映像作家・石川将也。

2020年に独立して以降も、21_21 DESIGN SIGHTで行われた「ルール展」に出品した『四角が行く』が文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞、『光のレイヤー』は同じくメディア芸術祭の審査委員会推薦作品に選出。目覚ましい活躍を遂げている。

「インタビューの参考資料に」とテーブルの上に並べられた数々の仕事を見ると、その幅の広さにも驚かされた。

アニメーションを始めとする映像をメインのフィールドとしてきたが、活躍の場はそれに限らない。大学時代からの恩師である著名メディアクリエイター・佐藤雅彦との共著となった『差分』や『任意の点P』(以上、美術出版社)。独立以降に作った磁石を使った動くおもちゃ『マグネタクトアニマル』。『四角が行く』『光のレイヤー』といったメディアインスタレーション……所狭しと並べられた作品を見るだけでも、過去20年にわたり、多様な媒体を横断してきたことが伺える。

しかし、今の石川にとって、それらが色あせてさえ見えてしまっているという。特に、自身が携わった部分が。

「今振り返ると、(独立前に所属していた)ユーフラテスを退社するときも、心の底では『もっと評価されたい』『もっと認められたい』という野心がとても強かったんです。実際いくつもの賞に応募し、そのいくつかは望んでいた評価もいただけました。それ自体はとてもありがたいことだと思っています。

でも、そんな承認欲求ってとてもくだらないなと、今になって思うんです」

本記事はWantedly Official Profileとのコラボレーション企画です。

見る人の“ご厄介”になるな。ヒットメーカー・佐藤雅彦教授の教え

石川は疑いの眼差しを向けるものの、氏がこれまで多くの“輝かしい”と形容されるべき作品を手がけてきたのは紛れもない事実だ。

その道のりは、慶応大学SFCの佐藤雅彦研究室から始まった。

2000年、大学2年生だった石川は、同研究室に所属した。古くは『バザールでござーる』『ポリンキー』といったテレビCMや、大ヒット曲『だんご3兄弟』などで知られるヒットメーカーの佐藤。あまりの人気の高さに、研究室に所属するためには10倍の倍率をくぐり抜けなければならなかったという。

当時、佐藤の研究室では、受け手と作品の間に新しいコミュニケーションを生み出す「コミュニケーションデザイン」が大きなテーマとなっていた。例えば、「アルゴリズム、プログラム、レイヤーといった概念をコンピュータを使わずに伝えるためにはどうしたらいいのか?」。そうした研究が、石川もその後、深く携わることになる教育番組『ピタゴラスイッチ』へと発展していった。

研究室時代を振り返り、石川は次のように語る。

石川「佐藤研の一員として携わりながら、研究室という閉ざされた環境の中で作られた実験や試作が、社会に対して『強い表現』として受け止められる様子を見ることができたのはとても面白かったです。

今でこそ日本中の多くの人が知っている番組に成長したものの、もともとは『ピタゴラスイッチ』も、学校の中で生まれたささやかな実験がきっかけでした。しかし、その伝え方を徹底的に追求することで研ぎ澄まされた表現になり、誰が見ても『楽しい』『おもしろい』という強度を目の前で獲得していったんです。伝えようとしている『アルゴリズム』や『ソート』などの考え方、概念の面白さが、皮を剥くように直接伝わってくるように思いました」

それと同時に、石川は、研ぎ澄まされた表現を生み出すためには、多大なる苦労を伴うことも知ったという。

石川の学部生時代に佐藤研でつくられた『任意の点P』(美術出版社)。付属する立体レンズを通して図形を見ると、本の中に3D図像が立ち上がる。本書のために、研究室の面々はいくつもの図柄をデザインし、膨大な時間を掛け全てのページを作り上げていった。しかし、あるとき師・佐藤は、ほとんど全部の図像をボツにしてしまったという。

石川「『任意の点P』は、一見すると立体視をテーマとした本に見えますよね。でも、その根底にあるのは『世界観』なんです。佐藤先生が目指した『この本で達成すべきこと』は、メガネを覗くことによって『立体感のある図柄が見えておもしろい』ではなく、『本の中にある、とても小さく、美しい世界の広がりを知覚すること』でした。

けれども、すべてのページを並べてみると、『立体的で面白い』という図柄ばかりになっていることに気付いた。だから8割の図像がボツになり、ほとんど一から作り直すことになったんです」

佐藤雅彦という一流のクリエイターのもとで表現の楽しさだけでなく、その厳しさも身をもって学んだ石川。恩師が常々語っていたある言葉は、今でも仕事を行う上で重要な指標となっているという。

石川「佐藤先生は、ある表現を作ったときに『見る人の“ご厄介”になっているものはよくない』と教えてくれました。『こう見てください』『こう理解してください』というクリエイター側の意図に受け手を付き合わせるのではなく、一目見ただけで、受け手が『あ、わかる』と感じられること。そんな表現を追求しなければならないと」

修了制作が、自身の表現と社会の接点を見出した

そして、佐藤のもとで学んだ石川の表現は、大学院の修了制作においてひとつの形へと結実する。

当時、研究室では「工場見学」が流行っていたという。大学院時代の石川は、研究室の仲間と共にいくつも工場を訪れる中、次第にその動きに魅了されていった。移動、仕分け、分離といった機械でオートメーション化された物体の動き。そこには、石川の研究テーマであったアニメーションにも通じる動きの快楽があった。

石川「工場では、ベルトコンベアで物が運ばれたり、中身が装填されたり、部品を一個ずつ分離したりといった、さまざまな動きに溢れています。これらの動きを抽出したら新しいアニメーションが生み出せるはず。そうして生まれたのが『仮想工場』という修了制作でした。

『仮想工場』では、まるで工場における作業のように、物体がベルトコンベアで移動しながら加工されていきます。しかし、実際の工場とは異なり、機械など具体的なモノの存在は省略されている。周囲の環境をなるべく捨象しながら、動きだけを抽象化していったのがこの作品でした」

荒削りな部分はあるかもしれない。だが、アニメーションで描かれた物体が動いていく様子からは、確かに動きの快楽を味わうことができる。この修了制作は、NHKの番組でも放送され、好評を得ることになったという。

その後大学を卒業し、デザイナーとして働いていた石川のもとに、佐藤から連絡が舞い込んできた。「仮想工場」の世界観を使って、大日本印刷の新社屋のためのアニメーションをつくれないか?──そんなオーダーを受けて、石川もユーフラテスに出向し生み出されたのが『イデアの工場』というアニメーションだった。

石川「大日本印刷は、社名の通り印刷会社というイメージが強いですよね。けれども、00年代当時、紙の印刷だけでなく情報産業にも目を向け、ICチップなどのエレクトロニクスにも注力しはじめていました。

この新たな方向性を推進していくためにつくられたのが『イデアの工場』です。佐藤先生が同社を象徴する『FUTURE』『COMMUNICATION』『INFORMATION』といった言葉を選び、僕が、これらの文字が作られていく工場を設計して、ユーフラテスがアニメーションとして作りました」

この作品は、100年あまりの歴史を誇る(2022年現在)広告賞「ニューヨークADC賞」に入選するなど、目覚ましい注目を集める。そして石川は、その後恩師や先輩たちが在籍するクリエイティブグループ・ユーフラテスに参加することになった。

探究と制作を行き来したユーフラテス時代

ユーフラテスに所属した石川は、仲間とともに『ピタゴラスイッチ』や『2355/0655』といった番組に関わっていく。

なかでも、強く印象に残っている仕事が歌を用いたもの。ピタゴラスイッチでは、金網ができるまでを歌にした『ねじねじのうた』やクッキー型の製造過程を歌にした『クッキー型の型のうた』などを作った。大学時代から続けてきた工場のリサーチは、「歌」という伝え方を用いることによって、より広い人々へと届いていった。

石川「ユーフラテスは、今振り返ると作り手であることに集中することができる、得難い環境を与えてもらっていました。『ピタゴラスイッチ』ならば、大人になってからも使える『考え方を育てる』。『2355/0655』ならば、『朝夜のリズムを刻む番組』。そんな風に、明確なコンセプトが打ち出されており、新しい発想を考えるときも、目指す場所が明確にありましたから」

日々の制作のほか、佐藤雅彦研究室のメンバーを母体とするユーフラテスでは、各人が自身の探究テーマを深堀りしている。クライアントワークの傍らで、各々の研究を報告をし合ったり、読書会を実施したりと、その雰囲気はさながら学生時代のまま。

石川は、「CG以前のアニメーション技術史」を掘り下げる研究に夢中になった。

石川「当時、僕が研究していたのが、アニメ『ポパイ』や『スーパーマン』を作ったフライシャー兄弟の仕事。彼らは、撮影した映像を画板に投影し、トレースするロトスコープという技法を使うことによって、アニメーションの動きをよりリアルなものにしていました。

また普通は絵で描かれるセルアニメの背景に、彼らはジオラマを用いた。そうして、近いものは速く動かし、遠いものは遅く動かすことで、まるで3DCGのような立体感のある映像を生み出したんです」

その成果は、ロトスコープの原理を応用し、文化庁メディア芸術祭でも審査員推薦作品として取り上げられた『バレエ・ロトスコープ』などに活かされている。また、2018年の『AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展』(21_21 DESIGN SIGHT)において出品された映像『Layers Act』では、半世紀前に使われていた特殊アニメーション技法を駆使した。

石川「1970年代、アメリカのケーブルテレビ局HBOでは、ステーションID(イメージ映像)を作るにあたって、『爆発』のようなアニメーションを必要としました。そこで生み出されたのが、2枚の図を透明な板に描き、それを重ねてずらすことで、あたかも爆発のような映像を生み出すという方法。

オーディオアーキテクチャ展に出品した『Layers Act』は、この手法を応用したもの。Corneliusが手がけた音楽を聞きながら、僕が2枚の図を動かす様子を真上から撮影する。それによって、まるでCGで作ったような幾何学的な映像を、アナログで生み出したんです」

「これはまさに僕が最もやりたかったこと」独立、そして「伝え方」のより一層の追究へ

そうした豊富な経験を携え、先述の通り石川は2020年に独立。

イッセイミヤケのイメージ映像『ISSEY CANVAS』、『ルール展』で展示され、文化庁メディア芸術祭に入選した『四角が行く』。同じくメディア芸術祭でアート部門 審査委員会推薦作品となった『光のレイヤー』。立て続けに結果を残す様子は、この上なく順調な踏み出しに成功したように見えるだろう。

物理的な3つの関門に合わせ動く3つの四角と、CGアニメーション上でしか見えない関門に合わせ動くひとつの四角という2つの機構が組み合わされたインスタレーション「四角が行く」。文化庁メディア芸術祭 第25回 アート部門 優秀賞を受賞(Photo:Takako Iimoto)

なかでも、石川が20年にわたって培ってきた「伝え方」を総動員したというのが、NTT研究所と共同開発した『マグネタクトアニマル』。S極とN極が交互に並んだマグネットシートの原理を応用したこのキットは、磁石シートを貼り付けたワニやゴリラをマグネットシートの上で動かすと、ワニがパクパクと口を開け締めする様子や、ゴリラが手を叩く姿を生み出すことができる。

石川「子供向けのオンラインワークショップから生み出された『マグネタクトアニマル』は、プロダクトだけでなく、その全ての過程において、僕が培ってきた『伝え方』を総動員しました。

ワークショップのためにオープニング映像を作ったり、パワーポイントではなく紙をカメラに映しながら撮影したり。また、クラウドファンディングの支援によって『移動式スタジオワゴン』をつくることで、どんな場所でもワークショップを実施できるようにもしました」

また、スカパーJSATとともに開発し、石川がデザインディレクションを務めた『海のクレヨン』。この作品は、「限りなく僕がやりたかったことに近いプロダクト」と表現するほど会心の出来栄え。白く上品な外箱には小さな穴が開けられており、その内部には、青、緑、黄色、ピンクといった色が垣間見える。

石川「このセットに収められた色は、全部衛星写真に映し出された海の色。それをサンプリングして、海の色のクレヨンを作ったんです。この箱を開けてみてください」

すると、中に入っていたのは衛星写真の印刷された中蓋。外箱に穴が空いていたのは、この写真に映し出された色を見せるためだった。

石川「普通、箱を開けるとすぐクレヨンがありますよね。でも、このプロダクトでは、箱を開けるとまず写真が飛び込んできて、クレヨンがこの色を用いていることが体感として了解される。アイデアとしてはシンプルだけど、デザインの力でその魅力を最大限に引き出している。これは、まさに僕が最もやりたかったことなんです」

スカパーJSATによる、世界中の海の衛星写真の中から12枚を選び、その「名前のない色」から12本のクレヨンを作るという企画のパッケージ(パッケージデザイン:言乃田 埃、製造設計:福永紙工)。石川は箱によるコミュニケーションを企画。多数メディアに掲載されるなど話題を呼び、日本文具大賞2022 デザイン部門「優秀賞」も受賞

得意とする映像領域のみならず、あらゆる方法・媒体を駆使しながら、最先端の「伝える」を研究し、実践していく。独立した石川の名実ともに、そんな野心を体現していた。少なくとも、昨秋までは。

「一人で完結している仕事なんて一つもない」

デザイナーとして活動を開始してから20年あまり。氏は今、極めて大きな変化の只中にいる。

それをもたらしたのが、現在まで8ヶ月にわたって続いている休職期間だ。仕事のキャパオーバーをきっかけにして心身の調子を崩し、休職を決めた。

石川「ユーフラテスの時代は、佐藤先生や同僚に優しく守られていました。そんな環境を出て自分で組織を立ち上げようとしたところ、色んな人に迷惑をかけてしまったんです」

「勝ちたい」「認められたい」という欲求は、石川に対して、デザインを徹底的な個人作業として捉えさせた。その結果、石川の目には、自分を支えてくれるコラボレーターたちの姿が見えなくなっていき、追い込まれていったのだ。

その思いと共に、自身の手掛けた作品も急激に色あせて見えるようになった。

取材班も、当日現場で石川の口から告げられるまで、その事実を把握できていなかった。だが、冷静に考えてみればこの事実を語らない、ないしは取材自体を断ることもできたはず。それでも、石川があえて口にしたのには、明確な意志があった。

石川「実は、(取材日となった)7月くらいには、きっと状況がよくなっているんじゃないかなって思っていたんです。でも、薬を飲んで快方に向かって少し冷静になれた結果、この苦しい精神状態がまだにっちもさっちもいかないってことが見えてきた。

もちろん、『NGです』って言って取材をお断りするのは簡単です。でも、誰かから求められる機会があるならば(インタビューを)受けてみてもいいんじゃないかって思って」

ようやく最近になり、こうして冷静に振り返り、かろうじて言語化もできるようになってきた。すると、色あせて見えた「自分の作ったもの」の中に、一緒にプロダクトを作り上げてきた人々の姿が見えてきたという。

石川「僕の仕事って言いつつも、結局はいつも誰かと作ってきたものなんですよ。一人で完結しているものは何一つありません。だから、自分の作ったものが嫌いになっても、自分が手がけていない部分に対しては、まだ大好きなままでいられる。それが、ちょっとだけ救いになっていますね」

受け手を信頼していなかったのかもしれない

そんな渦中にあって、石川の中で「デザイン」という営みに対する捉え方にも、変化が生まれている。

石川「最近、実感しているのが、実は、受け手はすごく丁寧に読み取ってくれるんだということ。映像作品やプロダクトの繊細な部分まで、無意識のうちにとても丁寧に受け取ってくれます。今までの僕は、そんな方々を信頼していなかったのかもしれない。

例えば、僕が『海のクレヨン』のパッケージをデザインしたら、きっと、穴を大きく開けて、もっとわかりやすいものにしていたでしょう。でも、小さいへんてこな穴だからこそ、美しさのバランスが取れていて、持っているだけで愛おしい気持ちになれる。これは、プロダクトを手にする人が理解してくれることを信じているデザインなんだなって。

それは、僕が今まで目指して手がけてきたデザインのように、一瞬でわかるものではありません。でも、『なんだろう?』って興味をひかれて立ち止まってしまう時間までを含めて『コミュニケーション』と呼ぶのであれば、そこには一目瞭然のデザインよりも、豊かなコミュニケーションが成立しているのかもしれないですね」

「受け手を信頼する」。一言で表現することは簡単だが、それを実行するのは大きな困難と勇気が伴う。信頼と不親切はいつも紙一重。ともすると、それは佐藤雅彦が語る受け手の「ご厄介になる」危険性もはらんでいるだろう。

けれども、石川は、もし次何かをするならば、一瞬でわかることを押し付けず、受け手を信頼し、理解するまでの時間を待つような「優しさ」も持たせたいという。

石川「もしも、デザインの世界に戻ることができたら、受け手を信頼する優しさを持ったプロダクトを手がけたいと思います。その時に必要なのは勝ち負けじゃなくて、自分が『めっちゃいい』と思えたり、隣りにいる人が好きになってくれるという価値。きっと、それこそが『いいデザイン』なのかもしれませんね」

長い休みの途中、まだ石川の中にははっきりとした答えは見いだせていない。けれども、8ヶ月という期間は、石川の中に、これまで気づかなかった新たなデザインの魅力を芽吹かせているようだ。

石川さんのキャリアの変遷やその過程については、ぜひプロフィールページもご覧ください。

[聞き手・執筆]萩原雄太
[撮影]今井駿介
[編集]小池真幸