見出し画像

デザイナーとは二律背反である──書評『行政とデザイン』

いま、行政の世界でデザインが注目を集めている。

「デザイン」という言葉の及ぶ範囲が広がるにつれ、「デザイナー」はさまざまな分野で活躍するようになった。その影響力は今後も増していくはずだ。たとえば2020年のLinkedInの調査では、UXデザイナーはアメリカで「需要のあるハードスキル」のトップ5に入ったという。「行政とデザイン」も、デザイナーの活動範囲が広がっていることの証左と言えるかもしれない。

「行政とデザイン」という組み合わせを聞くと、まるで「水と油」のような感覚を覚える人もいるだろう。それは単にパブリックイメージによるものだけではない。それだけ行政とビジネスの世界は、世界観や方法論において大きく異なると長らく見なされてきた。しかし近年、その潮流は変わりつつある。日本でもデジタル庁にCDOが置かれたことも記憶に新しい。

デザイナーの役割のひとつに、新しいインサイト(洞察)やアイデアを生み出すことがある。それは簡単なことではなく、とりわけ行政においてはそうかもしれない。しかし行政とデザインの関係は、間違いなく新たなステップへと歩みはじめている。

そんなときだからこそ、本書『行政とデザイン』を読んでほしい。オランダで公共政策や公共サービスを改善するべく奮闘し続けている著者たちの奮闘が記されている。オランダにおける事例を土台にしつつ、日本でどうやって行政組織をデザインしていくのか、考えを深めていくための一冊である。

デザインが敗北する2つの理由

「組織とデザインが交差するところにおける手法やツールは少ない。おまけに、公的機関のデザインを専門とする職業は皆無だ」とシドニー工科大学デザイン・イノベーション学部のキース・ドースト教授は言う。

公共機関とデザインの相性の悪さについて、本書の著者アンドレ・シャミネーは、チェンジマネジメントの違いがあると指摘する。シャミネーによると、主なチェンジマネジメントには(1)ネゴシエーション(権力)、(2)経験的理解(認知)、(3)学習、(4)動機づけ、(5)障壁を取り除くための有機的なプロセスに基づいているという。

このうち、公共機関の主なチェンジマネジメントは、ネゴシエーション型と経験的理解型だ。ネゴシエーション型については、関係各所への調整をイメージするとわかりやすいだろう。経験的理解型は、その名の通り経験則を重視するもので、前例や慣例を踏襲する性質を持つ。

一方で、デザイナーが主に用いるのは学習型のチェンジマネジメントだ。意味づけを中心とする有機的な手法も、同時に採用することが多い。

それぞれに優劣があるわけではなく、状況によって適した型は変わる。シャミネーも「現実問題として、プロジェクトのパターンが1つのチェンジマネジメントに基づいていることは稀だ。むしろ、いくつかの型を組み合わせる事が多い」と指摘している。

近年、公共機関においてデザインが注目されているのも、過去に通用していたネゴシエーションや経験的理解などのチェンジマネジメントが通用しない場面が増えており、逆に学習と意味づけを重視する手法が有効だとされるようになってきたからだろう。

だがここで問題が生じる。長年、特定のチェンジマネジメントに慣れ親しんできた者にとって、新たなアプローチの採用は軋轢を生む。言うまでもなく、公共機関の職員が使い慣れている問題解決プロセスとデザイナーが採用する問題解決プロセスには、大きな違いがあるからだ。

シャミネーによると、デザイナーが公共機関と協働しようとする場合、2つの大きな失敗が見られるという。

1つは、性急に答えを求められることだ。解決策を見出すことに躍起になった結果、「その方法論はそもそも正しいのか?」という点がおろそかになってしまう。

もう1つは、デザイナー自身から表層的なデザインアプローチを提案してしまうことである。ミネソタ大学のトーマス・フィッシャー教授は、「付箋紙で埋め尽くされたワークショップでは、“デザイン”の専門家の指導のもと、抽象的かつ参加者や組織が直面している現実の問題とはほとんど関係のない活動を体験する」と表現している。

どちらにも共通しているのは、もともとの文脈を疎かにしているということだ。「いままでどういう方法が取られてきたのか」を振り返るだけでなく、「なぜその方法が取られていたのか」「それにどういう人が関わってきたのか」も含めて理解を深めなければ、それを乗り越える方策を出すのは難しいし、場合によっては大きな反発を受けるだろう。デザイナーは課題に取り組むとき、その背景を十分に把握しておかなければならない。チェンジマネジメント方法が異なる公共機関においてはなおさらのことである。

「協力者」を見つけて巻きこむ

さらに状況をややこしくさせているのが、公共機関がデザインの力を行使するときというのは、根回しや経験則のような従来のやり方が通用しない、すなわち「厄介な問題」にぶち当たったときということである。ここでいう「厄介な問題」とはなにか?シャミネーは、次のようにその性質をまとめている。

  1. 動的である:取り組むたびに問題が変化する。

  2. オープンである:多くの人々にとって身近である。

  3. ネットワーク化している:単独の組織で、あるいは部門単位で解決できるのはまれである。

  4. 複雑である:シンプルな解決策は効果がないか、許容されない。

こうした問題について、誰も完全に理解している人はいないし、ましてやひとりの力だけで解決することは不可能だ。必要になるのは以下のことである。

  • プロトタイピングに代表される「アジャイル思考」

  • それぞれのステークホルダーを巻き込む「コ・デザイン」

  • 既存のフレームを別のフレームに置き換える「リフレーミング」

公共機関とデザインの世界の大きな違いとして、まず挙げられるのがプロトタイピングの有無だ。公共機関は、多くのネゴシエーションを経たうえで最終的な決断を下す。一方でデザイナーは、まず作ってみることから思考を広げていく。もし公共機関が、デザイナーがやっているようなプロトタイピングを実行できたら、どれほど自由になるだろうか?プロトタイピングは不確実性を最小限にするための方法だ。これを採用しない手はない。

ただし、公共機関にプロトタイピングを導入するうえでは、いつも以上に気をつけるべきことがあるとシャミネーは指摘する。プロトタイピング時に想定すべき「失敗」を挙げ、それらを許容できるかどうか、政治的・社会的観点から検討するステップを設けなければならない。

また、各ステークホルダーを巻き込むことは必須である。理想としては、問題に関与するすべての人が、解決策にも関与できるようにすることだ。とは言っても、すべての職員がデザイナーに対して協力的ではない。そこで、事を円滑に進めるべく「協力者」が必要になる。

コミュニティとの接触を維持する公共セクターの職員は、「バウンダリー・スパナー」と呼ばれる。バウンダリー・スパナーは、デザイナーと協力して課題に取り組むパートナーとなる。本書ではバウンダリー・スパナーの一例として、「ステークホルダーマネジャー」が紹介されており、オランダではひとつの専門領域として認知されはじめているという。ネゴシエーションを得意とするステークホルダーマネジャーと組むことで、より多くの関係者をプロジェクトに有機的に巻き込む。そうすることで、デザイナーは己の力を最大限に発揮できるようになる。

異物として関わり続ける

ではプロトタイピングをはじめとするアジャイル思考、多くの人を巻き込むコ・デザインはどうやって公共セクターで可能になるのか?シャミネーが指摘するのが、「リフレーミング」の必要性だ。本書ではいくつかの概念モデルが登場するが、なかでも著者は「フレーム形成モデル」という考え方を重要視する。既存の見方(=フレーム)を捉え、課題に対する共通の見方を練り直す(=リフレーミングする)。そうすることで人や組織が新たに結びつき、ともに対応策や解決策を探れるようになるという。

厄介な問題は複雑であるため、「シンプルな解決策は効果がないか、許容されない」。だからこそ、これまでどのような対応が取られていたのか、そもそもの文脈を把握する必要がある。それは物事の複雑性を認知するステップであるとともに、これまで問題に対応してきた人たちにリスペクトを示す行為でもある。ここを出発点にしなければ、各ステークホルダーを巻き込んでいくことは難しいし、人を巻き込むことができなければ、プロトタイピングのような手法も十全に機能しない。

デザイナーに求められる役割のひとつは、物事を全体的(ホリスティック)に検証することだ。「共感リサーチ」フェーズで多くの構成要素を集め、アイデアを発散し、そこから収束させる。いくつかのフレームを作成し、フレームごとの可能性を調べる。「デザインプロセスの本当の目的は妥協点を見出すことではなく、新しいフレームの実現可能性を評価することにある」。それは「正」「反」の対立関係から、より高次の「合(ジンテーゼ)」が導くアウフヘーベンそのものだ。

新しいフレームを通して問題を捉えたとき、まったく新しいステークホルダーが生まれるかもしれないし、その逆もあるかもしれない。必然的にパワーバランスは変わるだろうし、反発もあるだろう。そのときデザイナーの助けとなるのが、前述したバウンダリー・スパナー、そしてなによりも自分自身の力である。公共機関において、デザイナーは「地位の力」を持たないし、ネゴシエーションや経験値という点では強みを発揮しない。その代わりに、組織や問題の全体像を捉え、それに代わる新たなフレームを提供することで、組織の中の力学に変化を加える。デザイナーに求められるのは、ある種のメタ思考に他ならない。

デザイナーという立場で行政と関わるとき、難しいのはここである。全体を俯瞰するために距離を取りながらも、一方では表層的にならずに対象へ近づくことが求められる。デザイナーとは、その性質からして二律背反を求められる職種であり、マイノリティであり続ける覚悟を背負い続けなければ、存在からして破綻してしまう。

行政においてデザイナーに協力者が必要な理由も、こうして考えるとよくわかる。デザインする対象と距離を取りすぎる(=文脈を無視する)のは当然ダメだが、距離が近づきすぎても全体像が見えなくなってしまう。協力者が必要になるのも、こうした理由であろう。デザインする対象がモノであれば、あるいは話は変わってくるかもしれない。しかし対象がヒト(とりわけ組織)であるならば、そこに絡め取られるリスクが常に存在する。

行政においてデザイナーでいるということは、異物として存在しているにもかかわらず、深く関わり続けるということだ。組織からすれば、いびつに映るかもしれない。だが結局のところ、デザイナーという名前を冠しているかどうかに関わらず、組織を変革する人間とはそういうものなのだ。

[文]石渡翔
国際基督教大学卒業。株式会社フライヤーにて、書籍の要約の作成・編集、ブックコミュニティの企画・運営、学習デザインに関する知の集積・企画に従事。また、旅する高校 インフィニティ国際学院では、「旅する図書館」館長を務める。現在はニューヨーク大学大学院修士課程にて、学習デジタルメディアデザインを専攻。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!