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ホワイトキューブではなく、日常の太陽光の下で映えるデザイン──TENT青木亮作

「もはや欲しいモノがなくなってしまいました」

自分が欲しいものばかりをつくってきたという、そのプロダクトデザイナーは冗談混じりにこう語った。

クリエイティブユニット・TENT共同代表の青木亮作がデザインするのは、調理器具やインテリア、文具といった生活に根ざしたものが中心だ。それらはシンプルな佇まいでありながら、新しい生活の予感を放っている。

TENT立ち上げから10年、ヒット商品をあげればキリがない。そこに共通するのは、生活の中で活躍するイメージが湧くことだ。青木自身も、自らがつくってきたモノを「日常の太陽光の下で『いいね』と思えるモノ」と表現する。

その背景には、「つくったものを、自分で味わう」ことへの強い想いがあった。いつだって自らの「欲しい」と思う感覚を信じ、調査から得られる情報はほぼ参考にしないという、青木のものづくりの哲学に迫る。

本記事はWantedly Official Profileとのコラボレーション企画です。

商品は全て自ら「欲しい」と思ったモノ

下北沢駅と世田谷代田駅を結ぶのどかな散歩道、「下北線路街」の一角に「TENTのTEMPO」というお店がある。

そこには、TENTが制作した「ミニマルで便利な道具」が並べられている。

一つひとつ手に取って見る中、筆者は「フライパンジュウ」に心を惹かれた。

藤田金属と共同制作した「フライパンジュウ」

町工場で製造された分厚い鉄鍋に、着脱可能なハンドルを付けたものだ。つくりたての料理をテーブルに運びハンドルを外せば、鉄鍋はそのまま皿としても使える。鉄鍋とハンドルを縦に並べると「10(ジュウ)」の形になる遊び心のあるデザインにも心をくすぐられた。

「このフライパンがあれば、食事は美味しくなるし、食べることも楽しくなるかもしれない。しかも洗い物も減る!」というワクワクした気持ちとともに、レジへと向かう人の姿が目に浮かんだ。

TENTのプロダクトは、いずれも日々の生活の中に馴染んだ姿が想像できるのが特徴的だった。良い意味で、際立った個性を主張するものではない。しかし、商品に込められた意図を知ると、手に取ってみたくなるものばかりだった。

本の上に乗せれば好きなページを開いたままにできる、透明な本「BOOK on BOOK」
本やアート、レコードなどを好きな場所でシンプルに飾れる、つっぱり棒「DRAW A LINE」

発注元となる企業は、技術力のある中小メーカーから、象印マホービンのような大手まで幅広い。ただ、これらの商品は共通して青木を含むTENTのメンバーが自ら「欲しい」と考え企画・デザインしたモノである。最近はメーカーからの相談も「こんな商品をつくってほしい」ではなく、「TENTさんの欲しいモノを一緒につくりたい」というものが増えているそうだ。

象印マホービンと共同制作した「STAN.(スタン)」シリーズ

「つくったものを、自分で味わいたい」──プロダクトデザインを志した原点

青木が「自分が欲しいモノをつくる」という想いを抱いた原点は、学生時代まで遡る。

大学時代の青木は、建築学科に所属していた。大学院に進学するタイミングで、専攻をプロダクトデザインに変更したのだという。

青木「建築では、設計したものを自分で使える機会は少ない。でも、プロダクトデザインなら、設計したものを自分もお客さんも味わえる場合が多いなと考えていたんです」

「味わえないことへの違和感」はプロダクトデザインへ転向してからも感じていた。

青木「良いものを作れたかどうかなんて、本当は使ってみないと誰にもわからないじゃないですか。それなのに、プレゼンや模型だけで評価をしている。それが、気持ち悪くて仕方なかったんです」

遡れば、プロダクトデザイナーである父の影響もあったようだ。自宅近くにあった事務所を訪ねると、常になにかしらの試作品が転がっていたという。タバコを吸いながら製図台に向かう父の姿は、青木にとって日常の一部だった。

将来を考えるタイミングで青木の脳裏によぎったのは、父がデザインした「弁当箱」だったという。蓋の下のスペースに箸を収納できたり、二段弁当を持ち帰るときに一段にできたり。小さな発明がたくさん施された弁当箱を、幼い日の青木は毎日のように使っていた。

青木「もとから『このデザインすごい』『父のような仕事がしたい』と思っていたわけでは全くありません。でも進路を考えはじめたとき、父の弁当箱のように暮らしに馴染んで、自分でしっかり味わえるモノをつくる仕事がしたいと思った。それで、父と同じ職業を目指すことに決めました。母からは『こんな儲からない仕事やめなさい』と言われましたが(笑)」

「姉一人のため」につくった新機能

オリンパスイメージング(当時)に新卒入社した青木。カメラや医療機器、録音機器などのデザインを担当することになり、当初は「トップデザイナーを目指す」と息巻いていた。

だが、社内コンペではことごとく敗北が続く。入社前に描いていた姿からはほど遠い自分がいた。

青木「あの頃、プロダクトデザイナーに求められていたのは、商品の見栄えを良くすることでした。でも自分は、それだけでは不十分だと感じていた。自分がデザインを通じて実現したかったのは“新しい自分になれる感じ”。『このカメラを買ったら新しい生活が待っている!』というような感覚になれる道具をつくりたかったんです」

そんな青木が手応えを掴んだのは入社3年目の頃。新規事業創出の部署に配属されてからだった。やることが決まっていない状況に戸惑うメンバーも多い中、青木は「誰にも頼まれていない状態から仕事をつくる」という体験にむしろワクワクしたと振り返る。

手探りで企画を考えるうちに生まれたのが、後に「アートフィルター機能」として世に出されることになる企画だ。今でこそ一般的なフィルター機能だが、当時は画期的なアイデア。「はじめて、“新しい生活”を届けられるモノを生み出せた実感があった」という。

きっかけは、姉から聞いた「トイカメラみたいなデジカメが欲しい」という一言だった。

青木「当時の企画は、定量データから考えるのが一般的でした。しかし、そこから得られるのは、『この世代はこんな色が好き』といった表面的なものばかり。あまり価値を感じられませんでした。そんなときに姉の話を聞き、“量”ではなく“個”を起点に考えてみたらどうか?と思ったんです」

この仮説を検証すべく、青木は姉の意見を深掘りした。「どんなカメラなら欲しいのか」「どんな写真を撮りたいのか」と想像をふくらまし、プレゼントを贈るような気持ちで、商品企画へ反映していった。

実働試作を社内で見せて周り、社内の様々な部署で仲間を集めた青木だが、製品化前に転職を決意することになる。

青木「社内の多くの方へ説明する中で、思い描いた形で企画を世に出すことはできないという現実を突きつけられました。退職した後で”アートフィルター機能”として世に出たことを知った際には、Webのシステムや世界観まで構築した企画が、単なるいち機能でしかなくなってしまっていたことに悲しみを感じましたね。

それでも当時はその機能が話題になっていたので、少し手応えも感じました。そうしてこの頃から少しずつ、身近な人が欲しいモノ、もしくは『最も身近な個人』である自分自身が欲しいモノをつくるようになりました」

日常の太陽光の下で「いいね」と思えるモノを

2008年には、より大きなプロジェクトを求めソニーへと転職する。

ソニーで強く影響を受けたのは、ものづくりの「細部」に徹底的にこだわる人たちの存在だ。「ここまでこだわる必要があるのか」という驚きとともに、青木の技術は何段階も押し上げられた。

他方で、分業が徹底された職場では、「この商品を世に出すことにどんな意味があるのか?」と問うことが許されないジレンマもあったという。

スライド式カバーで電源のON/OFFができるマウスなど、プロダクトデザイナーとしてやりがいを感じる仕事もあった。しかし業務の大半は、すでに企画の固まっている商品を量産可能にするための調整作業に近かったと振り返る。

多忙な日々の中で働く目的を見失った青木は、行く宛も決めぬまま退職。約一年間は、フリーランスとして活動した。後にTENTを共同創業するプロダクトデザイナー・治田将之との交流が深まるのは、この頃だ。

青木はオリンパス時代、もともとフリーランスで活動していた治田に仕事を依頼する立場にいた。その後も交流は続いており、フリーランス時代にはちょくちょく治田の事務所へ遊びに行くようになった。

二人で活動する気持ちが、最初からあったわけではない。しかし会えば自然とアイデアを出し合うようになり、いつしか二人で展示会に出ようという話をするようになった。TENTの結成は、展示会費用を折半するために共同出展したことがきっかけだった。

「たまたま」「いつの間に」「気付いたら」と、治田と組んだのは自然な流れであったことを強調する青木。だが、丁寧に振り返れば「決定的な理由があった」とも言う。

青木「デザインの世界では『いいモノ』の軸がたくさんあるんです。家電量販店のライトの下で映えるモノ。​​図録の中で見栄えがするモノ。ネットのニュースの中で目立つモノ。どの軸で『いいモノ』を目指すかは、組織や人によって違います。

でも自分は、そのどの軸にも共感できなかった。自分がつくりたいのは、自分自身が暮らしの中で味わえるモノです。言い換えれば、日常の太陽光の下で『いいね』と思えるモノ。美術館やホワイトキューブの中で見栄えの良いモノではなく、『普段の生活の中で愛されるモノをつくりたい』という想いが、治田とは一致していました」

「個」を深堀りすると、建前を剥ぎ取った“人間”が見えてくる

「自分たちが欲しいと思えるモノ“だけ”をつくろう」と決めたのは、TENT結成後しばらくしてからだった。そのきっかけに、青木は「HINGE」というメモパッドを紹介してくれた。

A4サイズのファイルの中には、縁に沿うように浅いポケットがついている。そこにA4のコピー用紙を挟み込んでおくと、アイデアを思いついた瞬間にファイルを開き、素早くメモを取ることができる。「地味だが最高のアイデアツール」だと、青木は目を輝かせて説明する。

青木「これは完全に自分が欲しくてつくったモノです。アイデアを話してもあまりピンと来ていない人もいましたが、自分がどうしても欲しかったので思い切って製品化しました。

そのときは、3年ぐらいかけて在庫を売り切れればいいやと思っていたんです。ところがその3ヶ月後に『HINGE』を紹介した記事がバズって、現在では3万個以上も愛用いただけています。自分一人のニーズだけを頼りにつくった商品がこれだけ多くの人に買ってもらえたのは、衝撃的な体験でした」

これを機に、「誰が何と言おうと、自分がその価値を信じられるモノをつくろう」と決意。今ではプロジェクト規模の大小に関わらず、「自分が欲しい」あるいは「親しい人へ贈りたい」と思える商品をつくる仕事だけを引き受けている。言い換えるなら、プロダクトデザインを志した理由でもある「自らが味わうこと」を徹底的にやれるモノを作っているともいえるだろう。

アートフィルターにはじまり、HINGEにいたるまで。青木の話は、デザインに携わる者であれば一度は身に覚えのある体験ではないだろうか。「定量より定性からこそ得られるものが多い」「直感的に見出した解を定量データで検証する」——そんなエピソードはこれまでのdesigningの取材でも度々耳にした。

青木自身このアプローチに確信を持っているものの、なぜ成功するかは「まだよくわかっていない」ともいう。しかし、これまでの経験からそのゆえんの輪郭は見えているようだ。

青木「おそらく『量』から調べる調査は、“想定するユーザー”に共通する要素が知れるのだと思います。でも、それは表面的な情報になりやすい。

一方、『個』を深掘りする方法からは、“人間”の根源に共通する本質的な要素を知れるのではないでしょうか。『個』と向き合い、建前を全部剥ぎ取った先にあるものは、ものづくりにおいてはとても有用な情報なのだと思います」

TENTの活動は11年目、青木は42歳になった。プロダクトデザインを志し20年近くが経ったが、「個」と向き合う姿勢によって、当初の想い描いた「自分が作ったモノ」を「自分で味わう」ことは今では当然のこととなった。冗談交じりに「欲しいものを実現しすぎて、今では欲しいものがほとんどない」という青木だが、それでも「自分」を起点にしたモノづくりを突き詰める姿勢は変えることはない。

青木「自分がどうしても欲しいモノなら、同じように欲しいと思ってくれている人が絶対にいます。むしろ、『自分は欲しくないけれど、調査でこういうものが売れるとわかったので』とつくられたモノの方が、誰にも求められない可能性が高い。だから自分は、これからも『個』を信じ続けます」

美術館やホワイトキューブの中ではなく、日常の太陽光の下で「いいね」と思えるモノ。それを味わっている人を想像できて、自分がどうしても欲しいモノ。青木は「個」の力を信じながら、これからもそんなモノをつくり続けるのだろう。

[取材・執筆]一本麻衣[編集]小池真幸[撮影]今井駿介


青木さんのキャリアの変遷と、その過程で携わったプロダクトの数々は、ぜひプロフィールページもご覧ください。

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