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デザイン読書補講 6コマ目『パン屋の手紙——往復書簡でたどる設計依頼から建物完成まで』

はじめまして。中村将大ともうします。ふだんはデザインの教育を中心に仕事をしています。すでにこの『デザイン読書補講』で、連載をされている吉竹遼さんと、これから月ごとに交代しながら記事を更新していきます。デザインの実用書はもちろん、それをささえる教養となるもの、視点や考えのヒントになるものなどなど、いわゆるデザイン本に限らず、紹介していこうと考えています。みなさんがデザインに携わるどこかで、この記事がお役にたてましたら、うれしいです。

さて、この『デザイン読書補講』は、デザインのビギナーを主な対象としているとのことですから、最初に選出するのは、こちらの一冊としました。

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中村好文さんは長年、住宅設計をおもな仕事とされている建築家です。建築家といえばキャリアをかさねるにつれ、住宅のような小規模建築から、庁舎や美術館、商業施設に競技場といったモニュメンタルな大型建築物に、その活動対象をシフトする傾向がありますが、中村さんは、若い頃に住宅設計をフィールドとして生きていくことを志し、以来、市井のひとびとのすまいを、おおく手がけられています。

また建築をテーマにしたエッセイや、ご自身の建築について紹介された著作もおおく、建築を読む、すまいを読むようなその仕事も、また魅力的な方です。この『パン屋の手紙』も、そうした著書のひとつ。加えてこれは共著となっています。もうひとりの執筆者は神幸紀さん。神さんは、北海道真狩村にあるBoulangerie JINをいとなむパン職人。そう、本著のタイトルにある「パン屋」は、まさに神さんのことであり、中村さんと神さんは、建築家とクライアントの関係にあります。

紹介する著者のひとりが中村好文さん、この記事の執筆者は中村将大……と、のっけから名前が重複していて、ごめんなさい。すこしまぎらわしいですが、どうぞ、お付き合いください(もちろん、血縁関係などはありません)。

これから、さまざまな書物を紹介していくなか、まず、この『パン屋の手紙』にしたのは、デザイナーとクライアントの関係をみながら、デザインワークのプロセスを把握するに、最適な一冊だと考えたからです。この記事を読む人のなかには、まだクライアントと仕事をされたことのない方、あるいは直接のやりとりの機会がない方も少なくないかもしれません。さて、クライアントワークには、どんな印象があるでしょうか。なかには依頼主の求めることに従順でないといけない、あるいは反対に依頼主をパトロンとして、自己表現作品をつくる……というような、極端なイメージを描く人も、もしかするといらっしゃるかもしれません。

さて、デザインワーク、デザインプロジェクトのなかで、デザインをするのは、一体、だれか?——なにやら、いきなり禅問答のような書き出しとなりましたが、この本を読み進めながら、すこし考えてみましょう。

パン屋の手紙、デザインワークのはじまり

この本は、神さんによる手紙からはじまります。そこには、北海道真狩村にくらすパン職人であること、奥さんと4歳になる子息の三人家族であること、店舗と工房、住居が一体となったくらしであること、現在のたてものの問題点に課題点、日々のくらしの様子と、その先にある、理想的な将来のありかたがつづられています。いわばクライアントからの設計依頼です。

もしかすると、デザインを学ぶ人なら、本書に掲載された、この依頼文を読みつつ、いろいろなアイデアが浮かぶかもしれません。僕自身もそうでした。つくり手を触発する、情景が浮かび上がる文章です。それは中村さんもまた、同じだったようです。「『パン小屋』の設計、喜んでお引き受けします」と、まさに快諾といった返信があり、本書のストーリーは進んでいきます。

あらためてこの設計依頼をみると、情景的、詩的であることに加え、現状把握、課題の抽出、達成したい目的——その三点が明確で、デザインの依頼として、とても理想的です。神さんご自身が、どのくらい意識されて、この文章を記されたのかはわかりませんが、デザインのつくり手としては、とても読み解きやすいもの。デザインワークにおいて、幸運なスタートといえます。

しかし、これに限らずどんな内容であれ、クライアントがなにを考え、実際に依頼へと結びついたのか?その内容を整理していけば、こうした項目を抽出できます。学生であれば、課題文がそれに相当するかもしれません。もし毎回の課題作成に苦労している人がいたら、ぜひ、その内容をいったん、こうして項目ごとに整理し、咀嚼してみてください。そうすることで、つくり手たる自分自身にとっての「課題感」もみえてくるはず。まずは、目のまえの課題を整理することが、最初のデザインといってもいいでしょう。そう、この段階ですでにデザインワークは、はじまっているのです。

複合する視点、それをささえる経験

実際に真狩村を訪問し、神さん一家と直接のやりとりをしながら、中村さんは本格的に設計をすすめていきます。ここでは、さまざまな視点をもって、対象を咀嚼している様子がうかがえます。神さんと、その家族、訪れるお客さんたち、その場そのもの……という具合です。その根底にはベテラン建築家としての経験が、OSとしてしっかり稼働しています。

建築はプランとダイアグラムを基礎とし、設計されます。プランはいわば最終的に設計図面化されるところ。具体的なかたちをおびるものです。設計図面にも平面図、立面図、断面図……などなど、これもまた、複合的な視点が求められます。ダイアグラムとは、その場の特性、ひとびとの行動や目的、機能など、それらの関係を構築するもの。ヴィジュアルコミュニケーションや情報領域のデザインでたとえるなら、プランはインターフェースデザイン、ダイアグラムはエクスペリエンスデザインというところでしょうか。こうしてデザインのつくり手は形而上、形而下、さまざまな視点や段階を行き来し、それぞれの整合性をみながら最適化していくのです。

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中村さんは、スケッチや図面、模型、そして手紙や会話と、さまざまなコミュニケーションを駆使しながら、その複合的な視点を具現化し、クライアントに提案します。第一案の図面と模型をみた神さんは、高揚しつつも「もう少しパン屋の仕事、一日の流れ、そういったことを話さなければとおもいます」という反応をされる。これはなにもふたりの意見が食い違っているのではなく、神さんとしては、初期案をみることでそのうえの課題感に気づかれた。そうしたリアクションは中村さんとしても、まさに望ましいことであったのでしょう。このやりとりのなか、クライアントと設計者双方が、案件への解像度をあげ、ともに目指すものが、より鮮明になっているのがうかがえます。つくり手にとっては、毎回のやりとりもまた、プレゼンテーションといえます。

さて、当初は既存のたてものを改修することを目指していたこの案件は、さまざま条件や制約をふまえるうち、新築せざるをえない状況となります。設計者としても、クライアントとしても肩を落としたことでしょう。そうしたなか、中村さんは解体された部材を用いた、あるアイデアを思いつきます。はがきに描かれた、踊るようなスケッチからも、その興奮がうかがえます。事実、このアイデアはその後、プロジェクト全体を牽引する、おおきな要石となってゆきます。これはなにも突飛な思いつきというよりも、悪条件などもふくめたそれまでの物事から、導かれたものでしょう。良質なアイデアというのは、微細なノイズさえもふくめた数多のインプットから、濾過されるように生まれるのかもしれません。

実はこの本の終盤には、最終的にプランをあざやかにまとめる、もうひとつのおおきなアイデアが出現します。それは本書を読んでのおたのしみ。それまでのすべてが、あざやかにつながり、解決され、昇華される瞬間です。こうしたとき、デザインには血がめぐり、生命をやどすのかもしれません。ちなみに、このアイデアは神さんのなにげない発言が、きっかけになったもの。中村さんもまた「あの『ひとこと』で神さんはクライアントであると同時に、恊同設計者になりました」と記しています。

こうしたプロセスをみて、あらためて実感するのは、デザインワークはけっして帰納法ではないということです。もちろん、さまざまな情報収集は不可欠です。しかし「●●だから、いいデザインになる」「■■と▲▲をふまえると、理想的なパン屋がデザインできる」というようなことは、まずありえません。漠とした、未分のものごとの断片が、あるとき強固に結びつく。それはなにも「アイデアが降りてくる」というような、無責任は態度ではなく、対象と真摯に向き合ったときにおこる、必然なのです。そして、プロジェクトをそこに導くこともまた、デザイナーの仕事といっていいでしょう。

デザインの文脈、デザイナーの文脈

改修から新築という、おおきな転換はあったものの、おおむね順調に進んだといえるBoulangerie JINのプロジェクト。とはいえ途中、ふたりの意識の違いが顕在化する瞬間もあります。工事が順調に進み、意匠やディティールの検討が本格化した8月、意匠をめぐる神さんの何気ないひとことに、中村さんは、しっかりと反対の意思表示をされるのです。その前兆なのでしょうか。その少し前にも、仕上げに関する神さんの要望に、中村さんは全体のスケジュール、バランスとして時期尚早と判断されたのでしょう。落ち着きを促すような返答をされています。

デザインワークにおいて、クライアントもまた重要なつくり手であることは間違いありません。しかし、デザインの専門家として、プロジェクトの総合性のなか道が外れそうなときは、当然軌道修正をする必要があります。そして、それがなぜいけないのかを、きちんと理解してもらうように努めないといけない。その後のやりとりをみていけば、神さんご自身に悪気がなく、思わず口をついてでた発言だと推測できます。デザインが実際の、かたちをえて完成がみえはじめたとき、クライアントとしてそうした心情になることは、仕方のないことといえます。

中村さんの建築に対する姿勢は、その師である吉村順三の美学を継承していますし、その建築のプロポーションやディテールをみれば、はっきりとモダニズム建築の影響がうかがえます。その根幹にあるものは著書『住宅巡礼』で、選出された建築と建築家にも象徴されています。もちろん、これはデザインのインサイダーにおけるハイコンテクストな文脈です。ほかの領域に生きる人にしてみれば、把握できなくて当然のこと。つくり手として、良質なるものの基準や定義を示し、プロジェクトの交通整理をすることは、クライアントや案件に対する、デザイナーとしての礼儀なのかもしれません。

だれが、デザインするのか。そして、デザイナーはなにをデザインするのか。

こうしてみれば、クライアントとデザイナーは単純な主従の関係にないことがわかります。クライアントもまた協働者として、同じ課題と目的意識をもち、デザインする立場にあるのです。さて、ここで竣工したたてものは、すまいとして、店舗として、クライアント家族や、そこをおとずれるひとびとが、その後の場をつくることになります。それはデザイナーの手をはなれ、使われることで、デザインされたものは、あらたにデザインされ続けるのです。では、デザイナーは、いったい、なにをデザインするのでしょうか?対象となるものごと?プロジェクト?——もちろん、それも正解です。そして究極には、それをつかうひとびと、つどうひとびとの「それから」をデザインしているのかもしれません。

さて、今回はひとつの本を読みながら、デザイナーとクライアントの関係、デザインワークのプロセス、そしてデザインをデザインするのは、一体誰か?ということを考えてみました。デザインを志すみなさんのヒントになれば幸いです。それでは次回もまた、よろしくお願いします。

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おなじく中村好文さんの著作には、デザイン評論家 柏木博さんとの共著『普請の顛末 デザイン史家と建築家の家づくり』(岩波書店, 2001)と題した、柏木邸設計のプロセスを記録した本もあります。場所とクライアント、そのくらしや目的により、建築家の仕事やありかたにどのような相違点があるか、くらべてみると、より興味深いものです。

中村将大(なかむら・まさひろ)
おもにヴィジュアルコミュニケーションを中心としたデザイン教育、デザインワークに従事。帝京平成大学 助教。1983年 福岡生まれ。2009年から2021年3月まで東洋美術学校専任講師。前職では授業のほか、デザイン教育プログラム設計、産学連携業務なども担当。2021年4月より現職。

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