デザイン読書補講 5コマ目『バイナリ畑でつかまえて』
こんにちはこんばんは、吉竹です。
この『デザイン読書補講』は「デザインを学び始めた人(主に学生)の世界を少しでもひろげられるような書籍をおすすめする」をコンセプトに連載しています。
わたしの自己紹介や、この連載が生まれた経緯は1コマ目『UX・情報設計から学ぶ計画づくりの道しるべ』で書いていますので「どういう人が書いているんだろう?」と気になった方は合わせて読んでみてください。
今日の1冊
デザイン読書補講 5コマ目にご紹介するのは、山田胡瓜『バイナリ畑でつかまえて』(スタンダーズ)です。
本書はIT系ニュースサイトITmediaのITmedia PC USER内で2013〜2015年に連載されていた同タイトルをまとめた作品集です。この連載では初めて取り上げる漫画作品になりますね。今後も活字の本に限定せず幅広く紹介していきたいので、みなさんに読んでほしい本はジャンル問わず積極的に挙げていこうと考えています。
掲載元がIT系ニュースサイトということもあり、描かれているテーマはテクノロジーが中心です。掌編21話と表題作の計22話が収録されており、掌編は1話2ページ程度と短いながらも心に残る、詩のような雰囲気をまとっている作品です。
いまでもITmediaで連載されていたバージョンは読めますし、Kindle版であれば400円で購入できますので、ぜひ一読して頂けたら嬉しいです(※Kindle版には後述のライナーノーツが収録されていないのでご注意を)。
なお、山田先生は連載終了後、週刊少年チャンピオンで『AIの遺電子』(全8巻)を連載。以降はそのシリーズ作である『AIの遺電子 RED QUEEN』『AIの遺電子 Blue Age』が刊行されています(RED QUEENは全5巻、Blue Ageは既刊1巻)。こちらは人工知能とヒューマノイドにフォーカスした作品となっており、よりSF色が濃くなっていますがとてもおすすめです。
今回、本書を取り上げたのは単純に僕が山田先生の作品のファンであり、より多くの人に読んでもらいたいという目論見も含まれているのですが、それを抜きにしても私たちが避けて通れない「人とテクノロジー」について、そこから考えるデザインのヒントを見つけられる一冊だからです。
等身大で描かれる日常の中のテクノロジー
この作品に描かれているのは、そのほとんどが現代を舞台とした物語です。登場するのもFacebookやDropbox、Googleストリートビューやクックパッドなど身近なサービスが多いので、「SFっぽいのかな?難しそう」と不安がらなくても大丈夫です。まあ、中にはセカイカメラやオレンジ色のSNSなど、学生の方には「なにそれ?」なサービスも登場しますが、それはそれで歴史を振り返る楽しさがあるのでぜひ調べてみてください(逆に30代以上の方には説明不要で刺さるでしょう)。
そんな身近なサービスを舞台背景に紡がれるのは、同じように身近な物語たち。
父と幼い娘のクリスマスプレゼントを巡る『うかつなサンタ』、Kindleで出した漫画についた1件のレビュー『れ・こ・め・ん・ど』、レシピ投稿サイトで再現する母の味『みんなのレシピ』などなど、等身大で描かれる「日常とテクノロジー」は、ときにおかしく、ときにしんみりと日常を切りとっています。山田先生自身も新版のライナーノーツで
『バイナリ畑でつかまえて』ではテクノロジーをテーマにして、ありそうな普通の話を描いてみたかったんですよ。市井の人々がデジタルなツールに触れることによって見せる気持ちの揺れというか、ちょっと嬉しかったり、ちょっと哀しかったり、ささやかな心の機微を切りとってみたかった。(p.125)
と語っています。
自分が特に好きなのが『みんなのレシピ』。これはもう、まずは読んで!と言いたい。
冒頭に「詩のような」と形容した理由がなんとなくわかって頂けたのではないでしょうか。ITmedia掲載時はコマ単位のレイアウトでしたが書籍版では2ページにぎゅっとまとまっています。このページ数の制限があのような描かれ方につながっているのでは……と勝手に推察しています。もちろん山田先生の作風があってこそですが。
読み返してみると、僕がこの話に対して思い入れが強いのは『バイナリ畑でつかまえて』が持つ「テクノロジーがなければ生まれなかった瞬間」をわかりやすくも暖かく描いているからなのかな、と思いました。インターネットがなければクックパッドは生まれなかっただろうし、クックパッドがなければ多くの見知らぬ人が母のレシピを再現して報告することもなかった。そうした前提がなければ、この母娘の会話やそこから生まれる情緒も存在しなかったでしょう。
本当にさりげない瞬間を……それこそSNSにも投稿しないくらいの生活の一瞬を切り取って描けるのは、漫画ならではの特性だと改めて感じました。
どのお話も、読み終わると「ありえそう」と思うのもまた面白いところです。「当たり前じゃん」とも「ありえないよ」とも思わない。「ありえそう」という、共感を含む曖昧な感覚。この感覚は、コピーライターの谷山雅計さんが著書『広告コピーってこう書くんだ!読本』で書かれていた話を思い出します。
ちょっと表現は難しいけれども、「そういえばそうだね=コピー」は、「知っているのだけれども、ふだんは意識の下に眠っているもの」だと思います。
誰でも知っている「そりゃそうだ」でも、誰も知らない「そんなのわかんない」でもコピーにはならない。そうではなくて、「知っているのに意識の下に眠っているようなもの」を言語化することによってよみがえらせてあげる。そこに、コピーの納得が生まれるポイントがあるような気がします。
体験したことはないのに、提示されてはじめてその可能性に気付く。意識の下に眠っていた共感が作品を読むことで想起される、本書の読後感に通ずる言葉のように感じます。
テクノロジーもデザインも、誰かの生活に介入する
自分としては、みなさんが本書をはじめとする山田先生の作品に触れて「ああ、いいなあ」とじんわり感じ入ってもらえたら役目は果たせたと思っているのですが、この執筆はお仕事なので、連載らしくこの作品をデザインの視点で眺めたときに自分の中から出てきた言葉を共有していこうと思います。
改めて気付かされるのは「テクノロジーやデザインは人の生活に介入する」という、当たり前ながらも忘れがちな視点です。日頃、私たちが体験している物事のほとんどにはテクノロジー(によって作られた製品やサービス)が介在しています。スマートフォンを使うのも、電車に乗るのも、料理をしたり服を着るのもそうですね。それによって、この作品で描かれているようなささやかな瞬間だったり、ときには世界を動かすような大きな動きが引き起こされます。
でも、日々の生活の中でテクノロジーの存在をちゃんと意識する機会ってほとんどないと思いませんか?なんでスマートフォン使ってるんだっけとか、電車はどうやって動いてるんだろうとか、ガスコンロが着火する仕組みはこう、なんて考えを持たずにごく自然と介入を受け入れているのは、実は世界が見えいているようで見えていないと言えるかもしれません。
そして製品やサービスが生活の場へ届けられるプロセスではデザインがその手助けをしています。自分が受け持っている講義では、以下の図をもちいて解説しています。
この図は利用シーンに限定されていますが、それ以前の接触する場面でも同様の見方が当てはまります。ヴィジュアルやインターフェイス、構造、テキスト、音……そうして取捨選択された・させられたテクノロジーは生活の中に入り込みます。
受け手ではなく作り手側の立場になると、この視点はある種の倫理として働きます。つまり「自分(たち)が世に送り出しているものは、誰かの生活に介入するのだ」という意識です。なぜなら、たいていの〈作られたもの〉は作り手の思想なりを多く含むからです。
例えば色が決まるとき。自分は赤色が好きだからと赤色を採用するかもしれないし、触れる人にとっては青色が適切だと採用するかもしれないし、色は自分が決めるべきではないと思うから第三者に委ねるかもしれない。
もっと根源的な要素である製品やサービスのコンセプトそのものが大きな影響を与える場面もあります。Photoshopを使っている方なら、初めて触ったときに自分の中に未知の概念がインストールされ、新しい価値観が生まれ、世界を見る目が大きく変化したおぼえがあるはずです。
自分(たち)の思想・意識に基づいた選択の集合体が誰かの生活に介入する事実をしっかり自覚する姿勢は、作り手に求められる素養のひとつだと自分は考えています。
この倫理が必要十分に備わっていないと、作った当の本人たちではなく、それに触れたり利用する人々(あるいは自然環境)を肉体的あるいは精神的に傷つけるおそれがあります。
ひどいデザインは人を傷つける。ところが、そうしたデザインを選択するデザイナーは、自分たちの仕事に責任がともなうことに無自覚な場合が多い。
気をつけなければならないのは、自覚的にこの倫理から外れる人もいるという点です。最近ではフェイクニュースサイトが好例でしょう。フェイクニュースサイトって、事例を調べてみると実はふつうにデザインされてるんですよね。見出しがちゃんとしていたり、ロゴも作ってあったりして。読ませる工夫、信用させる工夫がなされている。つまり誰かしらが明確にデザインしているわけです。まあ、サイトデザインは単にテンプレートを使っている可能性もありますが。なんにせよ、悪意にもデザインは分け隔てなく機能するということは覚えておいて損はないでしょう。
だからデザインを学ばれているみなさんにおいては、ぜひ今後も変わらぬ向学心を持ち続けてほしいと願っています。学び続ける中で培われる知識と見識、そして良識をデザインに限らず自身の活動に活かせれば、きっとあなたの手から生まれたものは誰かの日常にささやかな暖かさを運んでくれるはずです。私自身もそうありたいと考えています。
それでは今日の読書補講はこのあたりでおしまいにしたいと思います。どうもありがとうございました。
ちなみにこの連載、次回くらいから新しい執筆メンバーが1人加わります。タイトルどおり、現職でデザインを教えられている先生です。僕にはできない選書、書けないフレーバーのテキストを書かれる方にお声がけさせて頂きましたので、ぜひどなたが来るか予想しながら楽しみにお待ちください。
[文]吉竹遼
フェンリル株式会社にてスマートフォンアプリの企画・UIデザインに従事後、STANDARDへ参画。UIデザインを中心に、新規事業の立ち上げ・既存事業の改善などを支援。2018年に よりデザイン として独立後、THE GUILDにパートナーとして参画。近著に『はじめてのUIデザイン 改訂版』(共著)など。東洋美術学校 非常勤講師。