「公共の再編」に、デザインが補助線を引く——公共とデザイン 川地真史・富樫重太
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「公共の再編」に、デザインが補助線を引く——公共とデザイン 川地真史・富樫重太

ユーザーインタビューを行い、課題を洗い出し。ワークショップ形式でディスカッションを行い、ユーザー体験の価値を高めるソリューションを選定……これは、都心にオフィスを構えるスタートアップのワンシーンではない。行政機関である兵庫県神戸市が行った、生活保護業務のサービスデザインでの一コマである。

神戸市の他にも、クリエイティブ枠での採用を実施している千葉県市川市、そしてChief Design Officer(CDO)を募集しているデジタル庁……自治体や官公庁といった「公共」領域において、デザイナーの活躍の場が広がっている。

政策・公共サービス・民主主義などとデザインの関わりについて国内外の事例を発信するメディア『PUBLIC & DESIGN』は、こうしたパブリックな場でデザインが発揮できる価値を考えるとき、大きな示唆を与えてくれる。2020年6月にローンチした本媒体を運営しながら、自治体のイノベーションラボ設立の支援なども手がけているのは、一般社団法人公共とデザイン。中心メンバーの川地真史、富樫重太の両氏は、Webサービス開発などに携わってきたデザイナーだ。

公共とデザインの取り組みは、売上やCVR向上のような“事業への寄与”だけではないデザインの可能性を示してくれているという意味で、「デザイン」を問い直す取り組みとも言えるかもしれない。二人が考える「公共」とはなにか。なぜいま「公共」と向き合うことを選んだのか。デザインはそこにどのように寄与できるのだろうか。

「公共=行政」ではない

海外の実践事例の紹介から、国内の行政機関で働くデザイナーへの取材まで、『PUBLIC & DESIGN』が取り扱う情報は多岐に及ぶ。

当初は、彼ら自身の関心を満たすためのリサーチおよび情報発信として始まった活動はその後、実践にまで発展している。現在は、東京23区のとある自治体のイノベーションラボ設立の支援も行っているという。

最近ではここ日本でも、デザイン人材が直接、行政の中に入って変革を促す動きが増えている。だが、公共とデザインが意図するのは、どうもそういうことではないらしい。それも一部含まれるかもしれないが、彼らは「公共」というものをもう少し広く、「お上」ではなく「みんなのもの」として捉えている。

その姿勢は団体名にも表れている。公共“の”デザインではなく、公共“と”デザイン。Webサービスやプロダクトのように、「公共」を外側からデザインできる対象とは考えていないようだ。その真意を、彼らの問題意識や、その醸成に至るまでの経緯を探ることで、少しずつ明らかにしていきたい。

北欧で出会った「豊かさ」の源泉

スタートアップから大手企業まで、新規事業開発やコンセプトづくり、組織風土の変革など幅広く事業成長に寄与するデザインに従事してしてきた川地。彼が公共とデザインに取り組むもっとも根源的な問いは「他者と共に生きる中でどうやって<私>という存在を形作るのか」であるという。

話は2012年、学部生時代にスウェーデンに1年間の交換留学に行ったところまで遡る。

北欧の人々との交流は、川地がデザインに関心を抱くきっかけになった。「向こうの人は、決して裕福というわけではなくとも、素晴らしい内装の家に住んでいた。普通のアパートではあるんですが、内装に大きな投資をして、頻繁に友人を招き、そこで交流して過ごしている」。経済的には決して貧しいわけではないはずの日本の実家と比べても、内装に対する明確な意識の違いを感じた。

最初は単純に北欧デザインの意匠的なかっこよさに惹かれたのだが、徐々にそうした意匠はさまざまな背景があって作られていることがわかってくる。その一つが北欧諸国の厳しい環境だ。1年の半分は冬であり、その間は陽の光を浴びることなく過ごす。すると、人の気持ちはどうしたって落ち込む。カラフルなテキスタイルや住環境に投資する文化は、こうした背景があって生まれているものなのだと知った。

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さまざまなファクターが複雑に絡み合った結果が、最終的な意匠として表現される。川地の目にはそんなデザインの世界が興味深く映った。同時に豊かさに対する関心が芽生え、そこから他者と<私>の関係へと話はつながっていく。

「万人に通用する豊かさなどないから、『自分にとっての豊かさとはなにか』という問いには一人ひとりが答えないといけない。豊かになるには自分なりの芯のようなものを各人で見つける必要があるということです」。北欧の人たちにあって日本人に足りないのは、まさにそうしたものであるように思えた。

では、自分なりの芯とはどうやって形作るものなのか。自分とひたすら向き合えば見つかるのか。そうではないだろう。「むしろ他者との関わり合いを重ねることで初めて立ち上がるものではないか」と川地は続ける。

川地「たとえば友達に勧められたことがきっかけで、それまで聞いたこともなかったパンクな音楽を聞き、『ああ、自分はこういう精神性が好きなのか』と気づかされるとか。芯というのは、そういうさまざまな関わり合いの中から見出されていくものだと思うんです」

公共の再編を通じて<私>の内なる光を灯す

しかし、現代社会ではそうした他者との関わり合いの機会がどんどん減っているように映る。多くの人が周りに関心を示さず、「私だけがよければいい」という態度になってしまっていないか。

中でも日本は「自己責任論」が強い。地域のつながりは消失してしまい、個人の手に余る問題はどこかの関係性の中で解かれることはなく、直接、国を頼る構図になっている。川地は哲学者のハンナ・アーレントの言葉を引きながら「多様な価値観が混じりあうカオスな空間の中で、他者性と対峙しながら、複数の善さを保っていく。その過程で初めて公共を意識して『人間』になるのだ」と述べる。

しかし、そうした「みんなのもの」としての「公共」はなくなり、「お上」を意味する言葉へと成り下がってしまった。それでは、一人ひとりが生き生きとした生を送るための自分なりの芯など見つけようがない——。

こうした問題意識があって始めたのが、公共とデザインの活動だ。北欧で学んだ参加型デザインの知見などを生かして、一人ひとりが主体的に参加し、互いに関わり合う中で、自分なりの芯を見出していける社会を目指す。「(矮小化されてしまった)公共の再編を通じて<私>の内なる光を灯す」ことがミッションになる。

そのため、公共と銘打ってはいても、必ずしも行政や自治体だけを対象にするという話ではない。「企業内にだって地域社会にだって公共は立ち上がるはずだ」と川地は言う。

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彼の「他者」への問題意識は、公共とデザインだけにとどまらない。「私だけがよければいい」という態度は、大きく捉えれば環境危機や資源問題などにもつながり得る。そこで、他者という言葉の指す意味を拡張し、自然環境や未来を生きる子供たちにまで想像力を働かせられるようにしようというのが、公共とデザインと並ぶ川地のもう一つの活動『DeepCareLab』の取り組みだという。

とはいえ、以上のことは決して「世の中に対していいことをしよう」という話ではない。そうすることが巡り巡って自分自身の人生を豊かで生き生きとしたものにするという感覚が、川地にはある。

川地「2018年からフィンランド・アールト大学大学院へ留学し、ヘルシンキの森で2年間生活しました。その中で、森の木々や、厳しい冬が開けてようやく差し込む陽の光など、自分はいろいろな存在に『生かされている』という感覚が強くなっていったんです。同時に、そのこと自体が豊かさの源泉であるようにも思えた。この広い世界で自分はたった一人で生きていると考えるより、目に見えない存在も含めた多様な他者を感じながら生きたほうが、人生はより楽しく、豊かで、ワンダーに溢れたものになるのではないかと思うんです」

つまり一連の活動は、川地自身の自分なりの芯にしたがったものだと言えるのだ。

足りない「社会への手触り感」

他方、富樫が自らを突き動かすキーワードとして挙げたのは「社会への手触り感」だ。

もともとはデザインよりも、ジャーナリズムや批評に興味があったという富樫。就職活動では新聞社やテレビ局を検討したが、そうしたメディアの実態は当時自分がイメージしていたジャーナリズムや批評とは別のものとして映った。就職したいと思える会社を失い、とりあえずなにかしらのスキルを身につけようと思ってWebデザインの勉強を始めたところから、この世界へと足を踏み入れることになった。

しかし、一足早く社会人となって働き始めていた同年代の仲間は、あまり楽しんでいるようには見えなかった。飲み会では愚痴が聞こえ、ネットを見ても不満や批判に溢れている。家族や街の人も同じように映った。これは一体どういうことなのか。

悶々とした中で富樫が導き出した一応の仮説が「社会への手触り感」の欠如というものだった。自分の仕事が社会を良くすることと接続できている感触がないことに、大きな問題があるように思えたのだ。

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そんなことをモヤモヤと考えていた時に、地域の困りごとを議員に届けるサービス『issues』を運営するissuesの創業者である廣田達宣と出会った。当時はまだビジネスモデルすら見えていない構想段階だったが、一人一人の思いを起点に地域を変えられるこの仕組みは、自分が抱えていた問いを解くヒントになる気がした。創業期のスタートアップのプロトタイピングを事業として請け負っていた富樫は、『issues』にもそういう形で関わり始める。現在はCDOに就任しており、自身の活動における一つの柱として取り組んでいる。

だが、『issues』はあくまで仕組みだ。仕組みさえできれば世の中がよくなっていくかと言えば、残念ながらそうでないことは過去のインターネットサービスの歴史が証明している。一方では市民の側の主体的に関わろうとする意識を醸成する必要もあるだろう(こうした公共とデザインの関わりの多面性を、彼らは「公共サービスのデザインの四つの分類」として整理している)。

そのための手法や事例をリサーチし、発信する場として始めたのが、公共とデザインが運営するメディア『PUBLIC & DESIGN』だ。

富樫「僕はそれまで、場を作るとか、違うもの同士の出会いを促すといったことはあまりやってこなかった。だからこれは、僕自身にとってもチャレンジの領域なんです。自分が知らないからこそ、調べて発信しているみたいなところがあります」

デザイナーはあくまで「補助線」を引く存在

『PUBLIC & DESIGN』は当初、富樫が関心領域の近い川地らと趣味的に始めた活動だった。その後、一人の自治体職員の目に留まったことがきっかけで、発信だけにとどまらず、実践にまで活動の幅を広げることになる。それが現在、東京23区のある自治体で進めているイノベーションラボの設立支援だ。

具体的には、ラボのメンバーである行政職員自身の「どんな行政でありたいか」「どんなラボでありたいか」という思いと、区が抱える現状の課題を整理。それを元にラボのミッションやマニフェストを作成する。また、区の取り組みだけでは対峙しきれない複雑な課題に実験的に取り組みつつ、住民や企業と協働するスキームづくりを行っている。いわば、行政機関が抱える課題に対して、デザインの力で解決を手助けしているのだ。

その際に大切にしているのは、専門職のデザイナーである自分たちがなにかをデザインしてしまわないこと。あくまで補助線を引いたり器を作ったりする役割に徹することだという。

公共とデザインの活動の方向性に照らすなら、公務員の仕事も従来のように誰かに決められたことを粛々とこなすものであってはならない。一人ひとりの「こういうものがあったらいいのでは?」という思いが自然と立ち上がり、それが形になっていくような姿を目指したい。もちろんそれは行政から市民への一方的なものであってもダメ。市民も巻き込んで一緒に作っていくものであり、市民一人ひとりにも「光が灯る」のが理想だ。

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富樫「そうやってみんなが顔の見える<私>として主体的に関わることにより、初めて公共は立ち上がる。逆に言えば、<私>が立ち上がることなしに、つまりは内発的動機であることなしに社会に対して良いことをしようとしても、なかなか活動的にはならないと思っています」

公共とデザインは活動を始めてまだ日が浅く、どう実装していけばいいのかについては模索している段階ではある。ただし、<私>が立ち上がる、あるいは「光が灯る」のに重要な要素として、異質な他者との出会いは挙げられるだろうと川地は言う。

川地「他者と関わり合う場を設定すると言っても、単に居心地のいい空間を作ればいいという話ではないと思っています。重要なのは、自分と他者の間の差異。自分とは違うものと出会ったりやりとりをしたりすることで、自分が問い直されるというプロセスが発動します。そうしたプロセスを経て初めて<私>は立ち上がるのではないかと」

たとえばデザインの持つ可視化する力は、こうした他者の異質性を浮き彫りにすることに役立つかもしれない。あるいは人が少し先の未来へと想像力を働かせたり、現状を批判的に見たり、具体的に見たりすることを手助けするといった働きも、まさにデザインの得意とするところではないかと彼らは考えている。

なお、ここでの「他者」とは必ずしも人である必要はなく、現象でも事物でも、「これまでの自分の理解を超え出たもの」を指しているという。そうした広い意味での公共性についても、彼らはリサーチと発信を重ねている。

人の精神性を前に進めるものとしてのデザイン

振り返れば、二人が“公共”に身を投じたのには、日本におけるデザインの現状に対する共通した違和感があった。

川地にとってデザインは経済発展とは違う、人の精神性を前に進めるものとしてあった。

川地「ハーバート・サイモンは、デザインとは『今の状態からより理想的なものへの移行』のためにあると言いました。これに倣うなら、さまざまなテクニックを使い分けることで、場に今までとは違ういろいろな可能性を持ち込めるのがデザインであるはず。そう考えていました」

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だが、実際にWeb業界で働き出すと、消費者の欲望をインスタントに満たすようなデザインばかりが横行していた。あるいは、本当は一人ひとり違う個性を持った人々を、顔の見えない同じ“ユーザー”という言葉で扱っているように映った。少なくとも、「今の状態からより理想的なものへ移行」しているようには思えなかった。

一方、富樫の言葉で表現するならデザインは「社会的な投資」だ。デザイナーとしてどんなクライアントと一緒に働くかも、誰に貢献すれば世の中をよりよくすることにつながる。ある種社会的投資の観点で考えていたという。表現こそ違えど、川地が参照したハーバート・サイモンの言葉と意味するところは近いと言っていいだろう。

しかし、スタートアップでデザイナーとして働く中ではやはり、本当の創業期に広く探索する時期を除けば、目先の売上や目標達成のためのグロースという文脈の仕事が多かった。それ自体を全否定するわけではないが、デザインにもしそんな力があるのであれば、もっと未来に向けた投資に使ったほうがいいのでは、というのが富樫の受け止め方だった。

こうした二人のデザイン観は、二人とは異なるフィールドで活動するデザイナーにも、自らの仕事を見直す一つの視座を与えてくれるのではないだろうか。繰り返しになるが、公共という言葉が指すのは必ずしも行政だけではない。たとえば会社という組織も一つの公共と捉えて、同じように取り組むことはできるはずである。

富樫「売上を向上させる、設定された目標を達成するといったことも確かに大事ですが、自分なりの問いを持つとか、自分の行ったデザインの成果が最終的な受け取り手一人ひとりや社会にどのような影響をもたらすのかまで想像力を働かせてデザインすることも、一方では大切ではないかと。そういうデザインができる人が増えれば、世の中はもっと良いものへと変わっていくはずだと思うんです」

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[文]鈴木陸夫[編]小池真幸[写真]今井駿介

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