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僕らは、どうしても“質”を諦められなかった。——デザイン会社の経営論 STUDIO DETAILS海部洋

日本各地にクリエイティブに携わる企業/個人はいるが、その中心はいまだ東京だ。

「東京でないとできない」ことは少なくなったが、それでも競争環境や採用、クライアントの数や質など、様々な要因が重なり、クリエイティブ業界を牽引するのは今も東京の企業がほとんどだ。

その中、デジタル/フィジカル問わず国内外で数多くの賞を掻っ攫い、業界内外からも評価の高いクリエイティブカンパニーが名古屋にある。『STUDIO DETAILS(スタジオディテイルズ)』だ。

2009年の創業で、2012年には京都、2017年には東京にもオフィスを構えたが、その活躍は東京に拠点を構える前から。2020年現在も名古屋の拠点が最もデザイナー比率が高く、WORKSを見ると東海圏の著名企業をそうなめにしている。

同社はなぜ、地方からここまでの高みへ登れたのだろうか。連載『デザイン会社の経営論』、第2回目はスタジオディテイルズ代表取締役の海部洋氏の経営手腕を伺っていこう。

海部 洋(かいふ・ひろし)
スタジオディテイルズ 代表取締役/クリエイティブディレクター
1980年生まれ。2009年に株式会社STUDIO DETAILSを創業し、代表取締役兼クリエイティブディレクターに就任。2013年にはアプリ開発会社である株式会社X.1と資本業務提携を行い取締役に就任。2017年にはSoftBank innoventureにてシェアサイクリング・プラットフォームの新規事業の立ち上げに携わり、取締役兼クリエイティブディレクターとして従事。クリエイティブとテクノロジーの両軸に精通し、グラフィック、Web サイト、アプリケーションなど幅広く手がける。

幅と深さ、クリエイティブと事業理解の両輪

スタジオディテイルズの特徴は、一にも二にもクリエイティブの質にある。

賞を並べて「質が高い」と表現するのは好ましくないとは思いつつも、国内外問わず受賞歴は枚挙に暇がない。筆者も親交があるWebに限っても、業界内からの評価も高い。

海部氏は、自社の特徴を「幅と深さ」という言葉で表す。

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海部「うちの強みは、媒体問わず一貫してクリエイティブを担える幅、そして、その深さだと認識しています。Webやグラフィックから、冊子、実空間、映像など媒体はいといません。かつ、クリエイティブディレクションやブランド戦略から制作、実装までを一貫して非常に高い水準でできる。クライアントは“良いアセット”さえ持っていればいい。何のために、何を、どこに、どう調理して、出すか——そのすべてをできるんです」

近作にはバーミキュラやリンナイなど、著名企業のクリエイティブを包括的に担う案件が並ぶ。

海部「例えば、バーミキュラさんではブランディングを一貫して担当しています。もともとはパッケージの相談だったんですが、『そもそも、このポジションでいいのか?』から入り、目的を再設定、ペルソナの解像度をあげる。その上で、キービジュアルやコピー、Webにパッケージ、カタログ等を形にしています」

こうしたプロジェクトを実現するためには、時に顧客側へ変化を求める時もあるという。

海部「戦略などから入る際には、先方の体制や意思決定フローをいじらせてもらうこともあります。『この承認フローをこう変え、この人に決定権を集約して下さい』といった具合ですね。前例のない取り組み、かつ大規模な変化の場合、どんなに優れた戦略を建てても現状維持の力に負けてしまうこともあります。それを防ぐため、道から整備しているんです」

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レベルの高いクリエイティブと上流から入る事業理解を両立させる同社。創業から10年弱でここまでの実績を持ち、40名を超える規模まで拡大する勢いを聞くと、さぞかし華々しい道を辿ってきたと思われる。

しかし、創業期の彼らを知る人であれば、首を縦には振れないだろう。スタジオディテイルズはどこかで実績を積んできたトッププレイヤーによる独立でも、著名企業出身者の集まりでもない。

地元のWeb屋——失礼を承知の上で創業期の彼らを表すなら、この言葉が最もマッチする。

地元のWeb屋が、東京のクリエイティブファームと肩を並べるまで

海部「もともとは、音楽活動をしていたので、日銭を稼ぐためにWebの仕事をしてたんですよ。ただ、お客さんにも恵まれて、少しずつ仕事をいただけるようになっていったんです。そこで服部と『一緒にやるか』という話になり、会社にしたのがはじまりです」

海部氏と共同創業者の服部友厚氏は高校時代からの友人だ。家族ぐるみでも付き合いもある仲で、そのよしみから日銭を稼ぐ延長上ではじめた会社。それが、スタジオディテイルズの原点だ。

ただ、時は2009年。リーマンショックによって経済は大きな打撃を受けた直後。かつ、会社と言っても当初はフリーランスの延長。仕事を受けるにも苦労する日々が続いた。

海部「独立するときって、普通お客さんや受注の見込みを持って始めるじゃないですか。僕らは、それもなしの見切り発車だったんですよ(笑)。どこかに所属していた訳でもないですし、代理店の案件もやっていなかったので、お客さんの開拓にはとにかく苦労しました」

当初は、地場の中小企業や個人商店を開拓。“地元のWeb屋”として細々と歩み始めた。

あるとき、そこへ知人経由で珍しい仕事が舞い込む。東京の制作会社が受注した、有名コーヒーチェーンの案件だった。

海部「いやぁ、嬉しかったですね。田舎者なので、ジャンプアップした感覚があったんですよ。東京の仕事、しかも有名企業の仕事なんて手がけたこともありませんでしたから。これは絶対ものにしてやると奮起しました」

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この機に成果を残したスタジオディテイルズには、少しずつ東京の仕事が入ってくるようになる。そこでパフォーマンスを発揮すると、さらに次の仕事が舞い込む。仕事が仕事を呼ぶようになった。

その後、転機となるクライアントと出会う。東京の大企業の名古屋支社からの相談だった。事業会社でもありクライアントワークもおこなうその企業とともに、東海圏の著名企業の仕事を次々と手掛けるようになっていったのだ。

海部「そこは、とにかくロジックやビジネス要件に厳しい会社でした。分厚い提案書をまとめ、それを元に最適なデザインを組み、形にしていく。そうした案件をものにする中で、鍛えられた感覚があります」

当初は百貨店の新卒採用の相談だったが、もがきながらも形にすると、次々と追加で仕事が生まれた。相談の窓口も増え、その仕事を見た東海エリアの有名企業からも次々とオファーが届くようになる。2012年頃のことだ。

1年前と比べれば、文字通り「桁違い」の案件が急増。明確にギアが変わる音がした。

僕らは、どうしても“質”を諦められなかった

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同年には、京都の開発会社・エックスポイントワンをグループ化。採用も加速させ、増え続けるニーズに応えられるように規模を拡大し続けた。2018年には東京にもオフィスを構え、現在は3拠点・約40名規模まで拡大した。

仕事が次の仕事を呼び込み、創業時には夢のまた夢だった賞も受賞歴には数多く並ぶ。2020年現在、全社で並行する案件数は平均150件ほど。かつ、運用案件はほとんど受注しておらず、ほぼ「立ち上げ」という。規模の大小はあれど、相当な物量であるのは言うまでもない。

海部「コンペも基本受けませんし、ペライチのランディングページや、単発キャンペーンのようなお話もここ数年はお断りしています。RFPがあるような相談もあまりやらず、RFPを仕事一緒に作っていけるようなもの、お客様と同じ目線に立てる仕事に絞っていますが、それでもこの数。会社規模から考えたら、“おかしい”くらいの数だと思います(笑)」

おかしいという言葉の通り、海部氏の話からすれば、相当な数のプロジェクトを一人の担当者が兼務している計算になる。これを成立させるには、効率化など何らかの「仕組み」があるのではないか。そう海部氏に問いかけると、静かに首を横に振り、同社の歴史を振り返った。

海部「たしかに、規模が拡大するにつれ、そのフェーズごと効率化の道は模索し続けてきました。10〜15人くらいまでは属人性が高くても構わないと思っていましたが、今のリソースでさらに仕事を請けていくためには、仕事の単価を上げたり効率化したくなる。属人性をいかに下げられるかは、何度も実験を重ねました」

もちろん、部分的に効率化できるものはあった。マニュアルやメソッド化など、一定の負荷低減につながる施策も生まれた。ただ、実験の末に同社が導いた結論は、「属人化を諦める」ことだった。

海部「メソッド化を進めると、絶対に質と効率性を天秤にかけなければいけない場面が出てくるんです。その時にどうするかを問われ、僕らは質を諦められなかった。スタジオディテイルズでなくても、いいかもしれない——そう自分たちが思ってしまうような仕事は、絶対にできなかったんです」

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この判断は、会社としての成長を手放すこととも同義だった。仕組み化など効率化を進めつつも、受けられる案件は当然限られる。「質」が担保できないと判断すれば、大きなチャンスも手放した。質のためには、利益率が落ちてでも外部の優秀なクリエイターに声をかけ、自分たちの出せるアウトプットの可能性を追求し続けた。

そうして質を担保し続けると、自然と相談も仲間もさらに増えた。結果的には、スタジオディテイルズはさらに拡大することになった。質の追求が、結果的に同社をさらに次のステージへと押し上げたのだ。

海部「いまはむしろ、“属人性があってしかるべき”と考えています。ただ、それを誰でも、一人でもいいので伝えていけるようにしたい。属人的な技術でも、次の世代に少しでも残せれば問題ないかなと思うんです」

自分の腕、頭、作品で一生暮らす覚悟を

この属人性を次の世代に伝えるにあたり、重要になるのが採用だ。

海部「属人性の高い技術って一回言ったり、一回やっただけで理解して再現できるものじゃないんですよね。極端な話、学びたい人につきっきりであらゆる所作を学び、何度も失敗しないとものにならない。学ぶ側には、それをやりきる胆力が学ぶ側には必要なんですよ」

ただ、これは「頑張れるか否か」といった精神論の話ではない。その人が“何を目指すか”、いうなればパーパスの設定の話だと海部氏は考える。

海部「その人が目指す姿と、僕らが目指して欲しい姿が一致しないと、結局続かないんです。うちで働くのであれば、40歳、50歳になったときにその技術で食べていくイメージがあるか。この仕事は、自分たちの腕や頭、作品を武器に一生暮らさなければいけない。その覚悟と意思が必要です。

逆に言えば、スタジオディテイルズはそういったモチベーションのある人にとって、最適な環境であり活躍できる場にしたい。経営上の努力はもちろんですが、同じ方向を向いてくれる仲間があっての会社だと思っています」

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そのために、同社は採用にも相応に力を入れている。

2019年にはHR戦略・事業戦略を担当する専門のマネジャーも外部から招き入れ、インターンや新卒採用など若手の登用施策も積極的打っている。中途では、グラフィックデザインからの転向組が最近では多いという。あくまで、デジタルの経験に絞らず、ビジュアルを作る腕力や、先述のマインドを共有できるかを重視する。

採用を加速させ、次々と仕事も増えていけば、つい拡大を目的に置きそうになる。ただ、海部氏の中でそこに一切の迷いはない。

海部「確かにリソースは足りていません。ただ、先ほどお話ししたように拡大は目的になりえない。結果的に拡大していくことにはなっていますが、自分たちの仕事は誰にでもできるものじゃないという自負もありますから。無理に拡大したり、無理に受注して質を保てないなら、やるべきではない。日々苦しいですが、そこだけは譲りません」

質を追求しつつ、どこまでデザインを“広げられるか”の挑戦

仕組み化を諦めた瞬間から、“質”の飽くなき探求を第一に突き進んできたスタジオディテイルズ。この姿勢は、「デザイン」という役割に求められるものが拡大する中でもぶれることはない。

海部「昨今は経営レイヤーにデザイン人材が入る事が増えてきています。ただ、その中で自分たちがお客様に何を提供できるかを考えると、“ものづくり”は外せない要素なんです。いくら経営レイヤーでデザインをしても、エグゼキューション力がなければ、ブランドは成立しません。僕らは、その上でどれだけ文脈を広げられるか。いうなれば、『ものづくりの姿勢を崩さず、どれだけデザインという言葉を広くできるか』で勝負したいと思っています」

スタジオディテイルズにとっては、デザインをより上流から提供する機会も、相談も、数多く存在する。加えて、そこには一定のフレームワークもある。それらは活かしながらも、土台である“ものづくりの姿勢”にあえて意識を持つ。

海部「特に、最近は若手のメンバーがビジネスへの意識も高く、デザインを広げる活動には長けている。これは時代の流れから考えても必然だと感じます。ただ、“ものづくり”を尖らせるのは職人芸なので、形にするにはどうしても時間がかかる。僕らはそれを10年以上磨いてきたからこそ、意識的に突出させ続けないといけない。“普通”になったら負けなんですよ。スタジオディテイルズの挑戦は、そこにあると考えています」

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[文]ヤスダツバサ [編集]小山和之 [写真]今井駿介

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