日本の“創造性”はこの10年でどう変化した?——IDEO Tokyo野々村健一
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日本の“創造性”はこの10年でどう変化した?——IDEO Tokyo野々村健一

「創造性は、一握りの幸運な人々だけが持っているまれな才能などではない。人間の思考や行動の自然な一部なのだ。創造性にフタをしてしまっている人はあまりにも多い。でも、そのフタを外すことはできる。そして、一旦想像力を解き放てば、あなた自身、あなたの組織やコミュニティに、大きな影響を及ぼせるかもしれない」

IDEO創業者のデイヴィッド・ケリーと共同経営者トム・ケリーによる著書『クリエイティブ・マインドセット(原題:Creative Confidence)』にはこんな言葉が記されている。

IDEOはこの“創造性の解放”と向き合いながら事業を展開してきた。それはここ日本でも変わらない。2011年に設立された日本支社・IDEO Tokyoがミッションに『デザインとクリエイティビティを通じて、日本の変化に貢献する』を掲げているのにも、その一端が伺える。

ではこの10年で、日本の“創造性”はどう変化したのだろう?その問いを、IDEO Tokyo立ち上げにも携わり、今年1月にManaging Director(日本拠点の共同代表ポジション)に就任した、野々村健一氏に聞いた。

非クリエイティブ職が挑んだ、IDEOというカオス

『創造性(クリエイティビティ)は、一握りの幸運な人々だけが持っているまれな才能などではない』——IDEOは、この言葉を体現する組織でもある。

「デザインファーム」と自らを定義しながらも、社内にはクリエイティブ職以外のメンバーも数多く働く。リサーチャーやビジネスサイド、工学系のエンジニア、データアナリスト……さまざまな専門性、経験を有するメンバーがコラボレーションし価値を生むことを前提としている。

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IDEO Tokyo/D4Vのメンバーの一部(画像提供:IDEO)

野々村氏も、バックグラウンドはクリエイティブ領域ではない。ファーストキャリアは、トヨタ自動車。海外営業や商品企画を経験した後、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)に私費留学。MBAを取得した“ビジネスサイド”の専門家だ。

そのキャリアがIDEOと交わったのは、留学中。特に強い関心があったわけでもなく、インターン先を探す中たまたま面接に進んだひとつがIDEOだった。働き始めた理由は、「面接が一番おもしろかった」から。ただ、従来の日本企業でキャリアを積んだ野々村氏は、その環境に衝撃を受ける。

野々村「一般的には職種や職能で部署や部屋、オフィスが分かれているのに、IDEOでは僕の隣にグラフィックデザイナーや建築家がいて、後ろには工業デザイナーがいる。しかも、制度や組織も、多様な職種がコラボレーションする前提で作られていました。もちろん、コラボレーションの有用性は、当時から議論されていました。ただ、IDEOほど多様なメンバーが在籍し、機能している状態ははじめて目にしたんです」

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(撮影場所:IDEO Tokyo・東京 表参道)

奇しくもこの環境は、野々村氏が前職で思い描いていた理想の状態だったという。

野々村「商品企画をしていたとき、デザイナーや技術者など異分野の専門家と一緒に取り組むおもしろさを、すごく感じた仕事があったんです。ただ、当時は組織の都合で、異なる領域の人とは摩擦が生まれてしまうこともあった。『もっと腹を割ってモノづくりができたら、よりよいものが生まれるんじゃないか』という感覚を漠然と持っていたんです」

IDEOでの経験、そしてHBSの授業でも「デザインがビジネスにおいて果たす役割」に関して学ぶ機会もあり、野々村氏は日を追うごとにこの環境によって得られる価値に対し理解を深めていった。

とはいえ、当時のIDEOは日本では少しずつ名が知られ始めたくらいのデザイン会社。MBAホルダーが飛び込むには少々チャレンジングな選択肢にも見える。そう野々村氏に問いかけると、こんなエピソードを教えてくれた。

野々村「卒業後のキャリアを考える中でヘッドハンターに話を聞くと、『MBAの使い方をきちんと理解している会社を選ぶか、全く逆の“カオス”へ行くといい』とアドバイスをされたんです。そして立ち上げ時のIDEO Tokyoは、徐々に勢いを増すスタートアップのような雰囲気があった。このカオスを楽しむのもありだなと思ったんです」

HBS卒業後、野々村氏は迷わずIDEOへ入社。IDEO Tokyo発足とも重なり、彼の“創造性”への挑戦は、表参道にあるマンションの一室からスタートした。

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発足当時のオフィス(画像提供:IDEO)

この10年でIDEOが日本に生んだ変化

2011年、IDEO Tokyoはわずか3人でスタートした。しかも、当時のIDEOはまだまだ知る人ぞ知る企業。日本ではデザイン思考の注目も高いとはいえず、「謎の海外デザインファーム」として捉えられることも少なくなかった。

そこから、クライアントワークを通した成果の積み重ねるとともに、デザイン思考をはじめとするデザイン全般への注目もあり、IDEO Tokyoは徐々にその認知を広げていく。

野々村氏も、その最前線でさまざまなクライアントと向き合ってきた。Managing Directorに就任した今でもプロジェクトのディレクションやクライアントを担当するなど、経験した現場は数知れないが、氏が特に「印象深かった」と振り返るのが、ある金融機関とのプロジェクトだ。

そのプロジェクトでは、担当者に加え、役員もプレゼンの場に参加していた。20人弱を対象に行うデザインリサーチについて説明すると、ある役員がこんな声を上げた。

野々村「『こんな数で統計的な意味はない。せめて数百人に聞かないと』とおっしゃったんです。確かに、マーケティングリサーチであればその通りですが、私たちが取り組むのはデザインリサーチ。『新しいものをつくり出す過程においては、得られるインスピレーションが大事なので、網羅的に見る必要はないんです』とご説明し、その場はどうにかおさめていただきました」

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その後プロジェクトが進行し、プロセスとアウトプットを目にしたその役員は、大きなミーティング中にIDEO チームにこんな声を掛けた。

野々村「『あのときは私が間違っていたよ』と全員の前でおっしゃられたんです。これは、私たちが正しかったと言いたいのではなく、これを機にその方の“デザインに対する視点”が変わったんですね。その瞬間を目にし、『これが僕らの仕事なんだ』と改めてその意味を確信しました」

もちろん、これはIDEO Tokyoが生み出してきた価値の一部にすぎない。IDEOが公開している事例からも、その変化の軌跡が見て取れる。いずれも、デザインに対する視点を変化させたり、それに携わる人々の創造性を解放し、価値を生み出してきた。

こうした変化を試すような出来事が、10年目を目前にして起こる。コロナ禍だった。ちょうど10年前はリーマンショックと東日本大震災を経た直後。状況こそ違うものの、厳しい社会情勢という点は共通する。野々村氏にその差分を問うと、「隔世の感」という言葉で評してくれた。

野々村「10年前は社会全体の空気も重く、あれこれと提案をしても『イノベーションが大事なのはわかるけど……』と言われて終わることも多かったんです。ところが、コロナ禍ではみなさんが口を揃えて、『ピンチだからこそ、今のうちに種を植えておこう』『絶対に跳ね返ってやろう』とおっしゃっている。そのポジティブな姿勢に、私たちが驚かされるほどでした」

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画像提供:IDEO

これは、コロナ禍に対する活動からも見て取れた。2020年夏、IDEO Tokyoはニュー・ノーマル時代に起こりうる変化を提起する『Emergent Futures』を公開。ここに、想像を大きく上回る反響が得られたという。全9回にわたって開催されたイベントの参加者からの反響も良く、野々村氏の耳にも「社内でもこういう見方で考えていきたい」といったポジティブなフィードバックが届いている。

もちろん、この変化は日本のあらゆる領域で起こっているものではない。コロナ禍で窮地に立たされた人が少なくないのもまた事実だ。ただ少なくとも、IDEO Tokyoを取り巻く企業やクライアント、パートナーはこの10年一定の変化が生まれているはずだ。

日本発、“デザインファームによるVC”という妙案

周囲に生み出した変化に呼応するように、この10年IDEO Tokyo自身も変化を重ねてきた。支社立ち上げ当初と比べれば、メンバーは40名弱と10倍以上に拡大。多種多様な専門性が集う組織として成長したのはもちろん、事業面でも日本発で大きな挑戦が生まれている。その一つが、野々村氏もFounderに名を連ねる『D4V』だ。

D4Vは、デザインファームがVCに取り組むという異例の挑戦。本国を含めた社内の説得には1年近い時間を要し、野々村氏も足しげくサンフランシスコに通いCFOなどと議論を重ねたそうだ。その期間を掛けてでも形にした背景には、スタートアップへの価値提供はもちろん、外からではなく内から支援したいという意図があった。

野々村「スタートアップに対し、もっと広範に価値を届ける方法を探る中で行き着いたのがVCだったんです。VCであれば自分たちもリスクを取るからこそ、継続的に関係性を作り、コンサルティングのような外からのアプローチではなく、より深く入り込み変化を促せる。自分たちがスタートアップのEnablerになろうとしたとき、一番効率が良いと考えたんです」

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今ではその価値や意味も社内で認知され、アメリカでもファンドが組成された。「新しいIDEOのあり方として浸透し始めている」と野々村氏も自信を見せる。

こうしたデザインファームとして新しいあり方を、野々村氏は積極的に模索している。近年では「デザイン側が、いかにビジネスの中核で価値を発揮できるか」という機会の創出にも力を入れているという。

野々村「スタートアップと仕事をすると、現場のデザイナーはとても楽しそうなんですよね。その理由は、モノづくりのスピード感もあり、マーケットを自分の目で見れ、ビジネスやデザイン対象である人に近い場所で仕事ができているからなんです。

私たちは、そういった機会をもっと生み出し、デザインが事業の中核で価値発揮する機会を作っていきたい。こうした経験を増やせれば、自然とCDO、CXO的な視点も養えます。そういった機会を作れる立場だからこそ、積極的に経験値を積んだ人材を増やしていきたいですね」

創造性のフタを外す、IDEOという環境

ここまでのエピソードは、この10年でIDEO Tokyoが「社会の創造性」にアプローチしてきた軌跡だ。

他方でこの期間は、「野々村氏自身の創造性」を解放する期間であったことも言及したい。氏自身、もともとデザインやクリエイティブを専門的に学んだことも、実践の経験も全くないからだ。

「自らのキャリアに、負い目がなかったと言ったら嘘になる」ともいう。ただ、今は「デザインという選択を直接してこなかった自分だから、できることがある」という確信も持つ。その理由は、IDEOという環境にあった。

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野々村「振り返れば、僕自身子どもの頃から何かをつくったり、変えたりしていくことに強い興味を抱いていました。IDEOでのキャリアは『自分はこれがやりたかったんだな』と確信を深める時間でもあったんです。

ただ、こう言えるのもIDEOのカルチャーがあったからこそ。『人は誰もがクリエイティビティを持っている』と信じる風土と、その形の多様さを認める姿勢。創業者が組織に埋め込んだ想いが、強くあらわれていると感じています」

この風土は多様な観点で表出している。以前、野々村氏と共同でManaging Directorを務めるダヴィデ・アニェッリ氏、タレント・リードの杉浦絵里氏に話を伺った際には、そうした文化を育んできた姿勢をお話しいただいた。

この環境では、野々村氏が持つバックグラウンドも「ユニークネス」の一つとして捉えられる。お互いの違いが前提にあるからこそ、あらゆる場面で各々が「盲点」を提供し合える。クリエイティブ領域の経験がないことも、前向きに捉えられる。

野々村「トム・ケリーをはじめ、諸先輩方からも『もし会議をして、みんなが君と同じ意見だったらヤバイよ』と、口酸っぱく言われました(笑)。実際、そんなことはほぼないんですよね。もちろん、それゆえの大変さもあります。でも、トータルで考えれば絶対にプラスに作用している。そう確信を持てるようになりました」

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創造性という巨大な山に向けて

大企業に対しても、スタートアップに対しても、個に対しても。創造性を切り口に、変化を生み出し続けてきたIDEO Tokyo。

その10年の節目に、野々村氏はManaging Director(日本支社代表、先述のダヴィデ氏との共同代表)に就任した。深澤直人氏以来の日本人代表と聞くと、その荷の重さが伺い知れるかも知れない。

これは、IDEOが外から来た「異質な存在」として日本社会にインパクトを与えてきた時代から、日本に「根付いた組織」としてより深く寄与するフェーズに移り変わってきたことの表明でもある——野々村氏はそう受け止めている。

野々村「時代も着実に変わっています。最近では『答え』よりも『問い』を重視される方が増えてきたり、『問い』の性質も個人のマインドセットやスキルを求めるものから、チームや組織の変化を考えるようになってきた。そうした中では、IDEOが担う役割や提供価値も変化せざるを得ない。いまはその節目にいると感じています」

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3月にリリースした、この10年間の変化を振り返る『10 Shifts for Japan』というコンテンツにも、その変化が垣間見える。本コンテンツは歴史を振り返りつつも、未来を向くものも多い。これらのエピソードは、「IDEOが次の10年に向け思案していること」もあらわしているのかもしれない。

そして、次の10年への挑戦を野々村氏は“自分たちの手だけ”でとは考えていない。それは、IDEO Tokyoが積み重ねてきた価値も示している。

野々村「今は、日本に同じような志を持つ方がたくさんいます。デザインファームも増えていますし、デザインファームでなくとも、“デザイン”の力を用いて近しい取り組みをされている企業も出てきた。教育機関も、デザインに対する向き合い方を着実に変化させている。私たちはそういった方々とともに、日本におけるクリエイティブの未来をつくれたらと考えています」

2021年に入り、IDEO Tokyoは経済産業省が主催する、日本の組織における創造性発揮に関する提言作成に主筆として参加しているという。「あらゆる人材の創造性を発揮するための環境づくりには何が必要か」を、デザイン・クリエイティブ領域に限らず様々な有識者、経営者などともに議論を重ね、方向性を見いだそうとしているそうだ。これも、“近しい未来を見据える仲間”とともに挑む動きと言えるだろう。

先述の『10 Shifts for Japan』の中でも言及されているが、世界経済フォーラムが発表した『Future of Jobs Report2020』によると、2025年に求められる15個のスキルの内、クリエイティビティ(創造性)は5番目に位置する。2010年には10番目に置かれていたことを考えると、その役割は着実に大きくなっている。

他方で、Adobeの調査によれば2020年の段階でも、日本の高校生1,200人のうち63%が、「自分は創造性がないと思う」と答えたという。

たしかにこの10年で、創造性に対する認識は変化してきたはずだ。ただ、登るべき山はさらに大きくなり、期待も高まっている——これらのデータはそう表している。IDEOを含む日本のクリエイティブ領域に携わる人々は、その矢面に立っている。次の10年、そしてその先でどれだけの変化を生めるか。その期待は決して小さくはない。

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[文]佐々木将史[編集]小山和之[写真]今井駿介


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