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批判こそが「意味」を研ぎ澄ます——書評『突破するデザイン』

贈り物をするのは、「つくる」という行為を通してのみ可能である。意味を創造する究極の喜びを楽しむのも、「つくる」という行為を通してのみ可能である。贈り物は人々のためであるが、贈り物をつくる行為は私たちのためだ。(p.306)

「誰かのため」という言葉や想いに反論するのは難しい。利己的な姿勢は、当然ながら(多くの場合)たしなめられる。私たちに求められるのは、自分の発想や感性を押し付けるのではなく、相手が何を求めているのかをしっかりと把握することだ。さもなければ、単なる独りよがりになってしまう。

この考えは、日常生活だけでなく、ビジネスの領域においても広く普及している。たとえば「アイデア」を生み出す際、求められるのは徹底的な市場分析やインタビューだ。消費者が求めているものを売るのだから、その声を聞くのは当然というわけである。

だが消費者は、自分たちが求めているものを本当に知っているのだろうか? スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表したとき、その潜在的な価値に気づけていた人は、控えめに言っても今日ほど多くはなかっただろう。そしてその後の結果は、皆さんのよく知るとおりである。

「でもそれは、ジョブズのような特殊なビジョナリーの話であって、一企業に務めている自分とは縁のない話だ」と思われるかもしれない。実際、その考えは理解できる。自分の直観に従ってプロジェクトを推し進めるよりも、なにか客観的な指標をもとに組み立てたほうが、往々にして物事はスムーズに進むものだ。たとえその結果、凡庸なサービスやプロダクトばかり生まれてしまうのだとしても。

本書『突破するデザイン』が提唱するのは、市場分析などの外部の声ではなく、自分の内側にある情熱にもとづき、ソリューションをデザインするための思想と方法論だ。著者は「意味のイノベーション」で広く知られるロベルト・ベルガンティ。彼の理論には、個人の情熱と発想をエンパワーする具体的なノウハウ、そしてなにより心意気が備わっている。本書を通じて、現状を突破するデザインが少しでも増えてくれることを、一読者として願っている。

デザイナーは「クリエイターよりもメディエーター」であるべきか?

「世界を変える」という言葉に対して、私たちの態度はいつだってアンビバレントだ。

「世界を変える」というのは、多くの物語における主題のひとつだ。そうした物語に触れて、「自分も世界を変えたい」と考えたことがある人は、けっして少なくないだろう。

にもかかわらず、人は成長する過程のどこかで、こうした考えを捨てはじめる。「自分には世界を変える力はない」と感じ、いい年にもなって「世界を変える」と吹聴している者は無謀だと捉えるようになる。

そうした傾向は、ビジネスの現場でもよく見られる。プロダクトやサービスを企画するときは——相当な役職者でもないかぎりは——自らの考えに固執せず、実際のユーザーの声やデータを重視することが求められる。そこでのデザイナーの役割は、創造者(クリエイター)というよりも、媒介者(メディエーター)に近い。それぞれの声を拾い上げることで、あるべき道を提示するのだ。

それの何が問題なのだろう? 全員が自分の考えを貫き通そうとすれば、話は平行線をたどるだけだ。それならば共通言語となるデータをもとに、向き合うべき問題を定め、さまざまな関係者の考えを取り入れながら、ひとつのソリューションを生み出していけばいいではないか?

本書の著者ベルガンティは、しかしながらこうした立場を取らない。彼は上記のようなアプローチの重要性そのものは認めつつ、人々の世界観を塗り替えるような——すなわち「世界を変える」ような——プロダクトを生み出すためには、別のマインドセットと方法論が必要だと訴えかける。

それこそが「意味のイノベーション」だ。

批判によって「意味」を研ぎ澄ます

人々の心を奪うのは、新たなソリューションではなく、意味深いビジョンである。(p.75)

「意味のイノベーション」という名前に込められた想いはじつに興味深い。まず、ベルガンティはアイデアを重視しない。なぜなら世界にアイデアはすでに溢れているからだ。追求するべきは、短時間のブレインストーミングで見つけるものではなく、その人の内面から自ずと立ち上がってくるもの、というのがベルガンティの考えである。

代わりにベルガンティが重視するのは、モノゴトのもつ「意味」だ。意味深いビジョンを提示することで、人々のモノゴトに対する解釈が変わり、ひいては世界観そのものも変わる。「世界を変える」うえで、最先端のテクノロジーや特殊な権限は必ずしも必要ない。モノゴトの持っている意味(解釈)を刷新することで、それは可能となる――。とはいえ、これだけだと結局のところ、独りよがりは免れないように思えてしまう。

意味のイノベーションが単なるビジョンの押し付けにならないのは、そこにしっかりと協働のプロセスが含まれているからである。ただしそのやり方は、一般的なアイデア創造のプロセスとは異なる。意味のイノベーションで歓迎されるのは、「批判精神」だ。これは「相手の意見を尊重すること」を重視する昨今の潮流からすると、少し奇異に聞こえるかもしれない。

だが意味の深いビジョンを形成していくうえで、これは必要な工程である。ビジョンは、その後のプロダクト/サービス開発を行うときの、いわば土台にあたる。ゆえに、この段階でできるだけ頑強になるように、しっかり鍛え上げていかなければならない。さもなければ、その後どれだけ具体的な手段を検討したところで、もととなる部分がグラついてしまうだろう。

その一方で、どんな類の批判も歓迎というわけではない。そもそも批判(クリティーク)というのは、きわめて高度な知的作業である。無作為に誰かを捕まえてやらせたところで、土台は粉々に破壊されるだけだ。

ベルガンティはビジョンを育てるうえでは、以下の段階を経るべきだと述べている。

(1)「自分」でストレッチする
(2)「ペア」でスパーリングする
(3)4人程度の「ラディカルサークル」で衝突と融合を図る
(4)6〜8人の「解釈者」に問いかけをしてしまう
(5)顧客となる「人々」に実行してもらう

それぞれの詳細については本書に譲るが、ひとつ言えるのは、いずれの場合も人選がきわめて重要となる。特にアイデアがまだ生まれて間もないとき、スパーリングパートナーが果たす役割は大きい。批判を創造の源泉とするためには信頼が不可欠であり、根幹の部分で似たようなシナリオを信じている必要がある。そして、自分がたしかな体験や思索に根ざしたビジョンを持っていなければ、そのような「ペア」は概して見つからないものなのだ。

昨今はビジネスにおいても、哲学や教養の重要性が叫ばれるようになってきたが、ともすると単なる雑学として受け止められ、その根底を支える熟考と批判精神が見失われているように思える。そう考えていくと、意味のイノベーションは古き良き「哲学」を復権させようとする、ひとつの現代的な試みと言えるのかもしれない。

[文]石渡翔
国際基督教大学卒業。株式会社フライヤーにて、書籍の要約の作成・編集から、ブックコミュニティの企画・運営まで、コンテンツディレクターという立場から多方面に携わる。現在は「フライヤー研究所」の所長として、学習デザインに関する知の集積・企画に従事。また、旅する高校 インフィニティ国際学院では、「旅する図書館」館長を務める。

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