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【翻訳】UXデザインの力を信じるために、私たちが考えるべきこと

チョウチンアンコウが小さな突起物で小魚を捕まえ、腹を満たすように。巨大テック企業はUXによってユーザーを搾取し、利益を得ている。日本のデザイン界隈でも話題になった記事『Why I’m losing faith in UX 』で、Mark Hurst氏はUXへの落胆を表しました。

彼に返信を送ったのが、Scott Berkun氏。MicrosoftやWordPressでUIやUX、エンジニアリングに携わり、デザインやクリエイティビティをめぐる複数の著作でも知られています。『How To Put Faith in UX Design』と題し、“捕食ビジネス”の構図を踏まえ、UXデザインを再び信じるための新たな希望を示す。批評であり、激励でもある記事を、Berkun氏に許可をいただき、翻訳しました。

チョウチンアンコウのメスは、頭からぶら下げた光る突起物で、小魚を惹きつけることで知られる。しかしそれ以上に興味深く、驚くべき特徴は、この生き物の交尾にある。

チョウチンアンコウのオスは、体が小さく、消化器官がほとんど機能していない。生き延びるためには、メスと結合、あるいは一体化しなければいけない。オスは、メスの皮膚を噛み破り、一体化するための酵素を放出する。生き延びるのに必要な栄養を得ることと引き換えに、メスに精子を提供するのだ。

すでに悲しい話に聞こえるかもしれない。さらに付け加えると、一体化するメスを見つけるまで長生きできるオスは、全体のたった1%だ。

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自然界のグッドデザイン、UX界のダークパターン

チョウチンアンコウの頭に光る突起物が、とあるテックプロダクトで、ユーザーをネガティブな選択肢へとそそのかしているとしよう。デザイナーが「ダークパターン」と呼ぶものだ。意図的に誰かを騙して害を与える一方、別の誰かに利益をもたらしている。

しかし、デザイナーは自然界の現象を「ダークパターン」とは呼ばない。理由は私も定かではない。道徳に反しているように感じられても、生存を目的とした「グッドデザイン」であり、自然界の長い歴史に学ぶべきだと思っているのだろうか。

一方、多くのUXデザイナーが共有する歴史は、Macintosh以降に始まったものだ。デザインが社会全体、あるいはビジネスの世界において、どのように機能するのか、非常に狭い視野で捉えてきた。それは私たちデザイナーにとって不利に働いてきたと思う。

企業は、チョウチンアンコウや他の生き物と同じように、生き延びるためにデザインされている。それらは知覚を操作するための技を駆使し、進化し続ける。例えば、クジャクのオスが持つきらびやかな尻尾は、広告の一種のようなものだ。蘭の花びらは紫外線によって蛍光に光り、受精に必要な昆虫を誘う。これは「植物マーケティング戦略」の一部かもしれない。提供する価値に興味を持ってもらおうとするのは何も悪いことではなく、むしろ公平かつ自然であるようにも思えないだろうか。

一方、カッコウという生き物の例もある。カッコウは他の鳥類の巣に、母親の知らない間に卵を産む。卵が孵化すると、まだ孵化していない義理のきょうだいを巣の外に押し出し、死へと追いやる。いわば「殺人ひな鳥」だ。人間が同じ行為をしたら、殺人だと糾弾されるだろう。

それでも、私たちはカッコウの殺人を自然界における進化の一部と捉える。と同時に、人間自身もまたその一部であるという事実や、人間界の道徳と折り合いをつけるのに苦労する。

企業という「生き物」の性質とデザイン

企業の創業者は、“素晴らしいユーザー体験を作る”ために起業するわけではない。利益を生み出し、成長し、株主に価値をもたらすために存在する。そうやって投資家を説得する。社会や環境、顧客、従業員の給料などは、大抵の場合は二の次だ。彼らは生活の質を向上させるものを生み出すかもしれないが、決して利他的ではない。掲げた目標を達成するために人を雇用するのであって、それ以外の理由はない。

私たちがシートベルトを装着できるようになるまで、何年も自動車メーカーを批判しなければいけなかった。タバコが人体に悪影響であるとたばこメーカーに認めさせるまで、何十年も闘わなければならなかった。二つの業界は、あらゆる業界のなかで最も収益性の高い時期を謳歌した。

巨大テック企業は、大手自動車メーカーやたばこメーカーと、いくつかの共通点を持つ。人々は誰にとってもより良くデザインされた社会を望んでいるだろう。しかし、企業という生き物の性質は利己的な野望を追うようにデザインされている。

Mark Hurst氏のブログ記事『Why I'm losing faith In UX』では、過去30年間におけるUXデザインの衰退を、彼がどのように見ているかが綴られている。Amazonプライムをキャンセルするまでに、ユーザーは6つのページを遷移にしなければいけないこと。また、FacebookやGoogle、Amazon、Appleのリーダーたちが、公聴会での“宣誓”にもかかわらず、自社プロダクトのもたらす害について嘘をついてきたことなどに言及している。

さらに、スタンフォード大学のd.schoolの広めた「デザイン思考」が、シリコンバレーに「人間を搾取する力」を与えたと訴える。UXはもはや「User Experirence」ではなく「User Exploitation」になったのだ、と。

ブログ記事には学ぶべき示唆が詰まっている。一方で彼は対峙しようとしている“生き物”の全体像を捉えられていないとも思う。

Hurst氏は、Erika Hall氏がUXとビジネスの関係を示した人気ツイートを参照している。Hall氏は「大抵の場合、UXデザインは次の図のように捉えられ、実践される」と指摘している。

しかし、私はHall氏のツイートには別の意味も込められていると思う。それは、デザイナーが権限の及ぶ範囲で最善の仕事をしても、対象となるユーザーに負のインパクトを与えてしまうということだ。

そうなってしまう背景には、デザイナーに賃金を仕払うビジネス側の怪しげな倫理観がある。このミームは顧客が生きたまま捕食されてしまう現象を暗示している。しかし、よりスマートな“捕食”ビジネスは、人々が広告に釣られて物を購入し、企業にキャッシュをもたらすゾンビへと変えてしまう。

巨大IT企業の捕食ビジネスへの落胆

決して驚くような話ではないだろう。私たちは、ユーザーが時にプロダクトの一部であり、UXをめぐる諸要素に組み込まれていると知っている。

しかし事情はもう少し複雑だ。Hurst氏は言及していないが、ユーザーは素晴らしいUXの恩恵を受けながら、同時に搾取されたり、他社を搾取したりする可能性がある。例えばUberやFacebook、あるいはヘロインもそうだ。

「いや、私はただのデザイナーだから」と、肩をすくめたい気持ちにもなるだろう。ビジネスを定義したり倫理を守ったりするのは、私たちの仕事ではないのだと。

あるいは、個人的な事情から、倫理観の怪しい会社で働く以外の選択肢を持たない人もいるだろう。オスのアングラーフィッシュのように、肥大した生き物にぶら下がっているほうが安らかに生きられることもある。

こうした課題について、私たちは「UX特有の課題」と捉えるべきではない。それは明らかに間違っている。広告やマーケティング、ブランディング、エンジニアリングも、アプリやサービス自体も、ダークなビジネスモデルにぶら下がる突起部になり得るのだ。まさに先程述べた捕食ビジネスの構図である。

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Hurst氏の記事や多くのデザインコミュニティは、UXが資本主義からの脱却、変容をもたらすための希望として捉えている。そこまで楽観的ではないと思う人もいるかもしれない。けれど、それならどうして私たちデザイナーは、UXがビジネス戦略の一つと位置づけられることに憤るのだろうか。きっとデザイナーというものが特別な存在であり、その知識は容易に転用されないという意識があるのではないだろうか。

私はHurst氏がUXを信じられなくなったわけではないと思う。UXデザインは一つのスキルセットだからだ。大工の技術への信頼や信用が失われないように、UXというスキルセットへのそれも簡単には失われない。

彼は何に対して失望したのか。それは捕食的な巨大テック企業の「善をなそう」とする意欲ではないか。

その意欲を信じていたのは、企業という生き物の特性を踏まえれば、誤りだったと言わざるを得ないだろう。チョウチンアンコウがベジタリアンになることを期待するのと同じくらい間違っている。歴史を振り返ってみても、企業が株主の願いに反して、より良いデザインや倫理の徹底に最優先で投資するとは信じがたい。規制やルールがなければなおさらだ。善をなすと決めた億万長者でさえ、企業ではなく財団を通じて、慈善活動を行うのだから。

ビジネスの成否、UXデザインの良し悪し

気が滅入るし、残念な話だ。この状況に陥ったのは決してあなたのせいではない。デザイン界隈は常に自己顕示欲が強い。デザイン系の学校や書籍では、優れたデザインが「ビジネスの成功可否にほとんど影響を与えないケースもある」とは、決して伝えない。

ノーマンドア(筆者注:デザイン的に優れているが、開け方のわからないドアを指す)が、使い勝手の悪さはともかく、いまだに世界で人気なのには理由がある。にもかかわらずデザイナーは、ノーマンドアだけでなく、使いづらい電子レンジやテックガジェット、流行りのSNSなど、数え切れないほどの「使えない」デザインを笑い者にする。

しかし、それらのデザインは失敗例ではない。ビジネスの成功において、UXのデザインが常に重要な役割を果たすわけではないという証拠なのだ。デザイナーがもっとも目を背けたいものなのだ。

Hurst氏は、AmazonのUXの良し悪しにかかわらず、ユーザーが満足しているという点を見逃している。デザインや倫理の問題にもかかわらず、Amazonは米国で最も愛され、尊敬されているブランドランキングの上位5位にランクインしている。ランキングには、UXの専門家から頻繁に笑い者にされるGoogleも含まれている。

Amazonのユーザーは、UXデザイナーが改善する可能性のある何かよりも、安価な価格や2日間の配達、優れた返品ポリシーを気にしている。

恐らくAlexaやKindle、あるいは、彼らの新規事業ならば事情は異なるだろう。デザインにもっと投資する可能性が高い。今のところAmazonが最も収益を伸ばしているのはAWSであり、将来的にはC向け事業の重要性は低くなっていく。こうしたロジックがあるのだ。私たちデザイナーが嫌う類のロジックだ。

では、顧客は異なる優先順位を持つべきなのだろうか。Amazonの従業員やサプライヤーが、低価格を実現するために粗末に扱われている現状を知り、企業が社会に与えるダメージを減らすよう要求すべきなのだろうか。

少なくとも、私個人はそうあるべきだと考えている。しかし、その意見はAmazonとも、ウォルマートとも、株式市場とも無関係なものだ。成長に必要なコストも知ろうとせず、自分の投資信託や確定拠出年金の伸びを気にしている私たちには、無関係な話なのだ。

少し、チョウチンアンコウの話へ戻そう。もう一つ、この生き物には興味深い特徴がある。メスは複数のオスとの交尾を受け入れる。そして一体化したオスたちは、必要なくなった臓器を少しずつ失っていく。目やヒレ、腎臓、大切な心臓さえも、新しい宿主と一体化する。もはや生き物ではなく、交尾のための付属品だ。周囲にいるオスの存在を感じながらも、彼らの姿は見ることもできず、しがみつく。要求に応じて水中での交尾に応じる以外、何の目的も、機能も持たず、日々を生き延びる。

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一般的なビジネスにおいて、UXデザインは“専門性”だと捉えられている。企業はそれ以外にも多くの“専門性”を備えたロールを採用している。専門的なロールは、総合的なロールを担う人の決めた成長戦略に位置づけられる。規模の大きいチームにおいて、UXディレクターの下で働いていても、デザインをめぐる重要な意思決定権をデザイナーが持っていない可能性が高い。予算やスケジュール、要件は、倫理的かつ優れたプロダクトの開発方法を知らない人が決定する。

なぜなら企業にとって“優れたプロダクトをつくること”自体は、唯一の目標にはならないからだ。それは変わらないだろう。誰かが、彼らの考え方に影響を与えない限りは。

デザイナーが巨大な“生き物”に関与するために

ブログ記事のタイトルで約束した「UXデザインを再び信じるため」の方法は、ここが起点になる。

まずデザイナーは自身の優れたUXデザインスキルを信じ、一時的に別の領域にもフォーカスしなければいけない。とりわけデザインをめぐる重要な意思決定のほとんどが「デザインについて無知」な人や「倫理を気にしていない」人によって下されているのなら。

デザイナーは「デザインとは何か」について拡張して捉える必要がある。VPやプロダクトマネージャー、エンジニアが「本来はデザイナーが関与すべき」領域で「信じられない」と落胆するような意思決定をしているとき。彼らもまた、力を持つデザイナーなのだと捉えなければいけない。

そのうえでデザイナーにとっての合理的な選択肢は、以下の3つしかない。

1.重要な意思決定を担う役割を得る
2.意思決定者に影響を与える力を磨く
3.デザインに対し高いスタンダードを掲げる職場を探す(または起業する)

残念ながら、最も一般的な選択肢は“4つ目”の「文句を言う(AND/OR)何もしない」ことだ。例え失望していても、未知の世界に飛び込むより、慣れ親しんだ世界を好むのが人間の本性だ。多くの人にとって安全な選択なのだから。他の選択肢よりも怖くないし、文句を言う仲間と意気投合するという褒美も得られる。

仲間たちは「重要な意思決定を担う役割を得る」ことを裏切りであり、「もう“デザイナー”ではなくなるんだね」と言うかもしれません。けれど、それによってあなたは「本来はデザイナーが担うべき意思決定」に関与できる。次世代のデザイナーが、更に力を発揮するための道を切り拓くのだ。

2つ目の「意思決定者に影響を与える力を磨く」については、「なぜそんなことをする必要があるのか」という人もいるだろう。もちろん何もしなくたっていい。でも、少しでも何かを変えたいと思うならば、何か行動を起こさなければいけない。

経営陣であろうと、組織のメンバーであろうと、良いデザインとは何かについて、あなた以上に知っている人なんていない。デザイナーとして採用された日から今まで、ずっとそうだ。だから、UXの知識を信頼し、それを活躍の土台にしてほしい。飛躍を妨げる重りではなく、踏み台にしてほしい。デザインをめぐる一般的な書籍やカンファレンス、メディアは、しばらく無視しても良い。今もっとも必要としていないのなら、すでに身につけたツールを磨き続けなくても良い。

それよりも、例えばコンサルタントの説得方法を学んでみよう。デザイナーのためのビジネスを勉強するのも良いが、創業者やプロダクトマネージャーのコミュニティに飛び込むのも良い。彼らの縄張りで、たくさん問いを投げかけ、主張や理論を学ぶのだ。彼らの言語で話せるようになれば、より良い翻訳者になれる。もちろん、ビジネスサイドで活躍している仲の良い同僚が身近にいれば、直接学ぶこともできるだろう。その人を起点にビジネスサイドの人々を味方につけよう。影響を持つ彼らをユーザーであるかのように扱おう。相手を「知りたい」あるいは「惹きつけたい」と思う限り、その人はあなたのアイデアの“ユーザー”なのだから。

一人のデザイナーが、企業への影響力を身につけるなんて、実現不可能に思えるかもしれない。大規模かつ強力な宿主あるいは組織において、ルールや法則をリデザインするなんてできるのだろうか。悲しきオスのチョウチンアンコウの姿が思い浮かぶかもしれない。

でも、想像してみてほしい。彼らとデザイナーの違いは何か。それは、デザイナーが他の物語を知り、新たな選択肢を選べることだ。オスのチョウチンアンコウと違って、組織や仕事との関係、あるいは自分自身との関係を、自由に変えていく力を持っているのだ。

エメラルドスズメバチの能力を例に挙げよう。エメラルドスズメバチは、影響を与えたい生き物に比べて、遥かに小さい。小さすぎて脅威とも見なされないほどだ。しかし、彼らはよく学び、優れた技術を完成させた。適切な場所と時間を見極めて相手を攻撃し、化学的に裏付けられた手法で相手の体を乗っ取る。自分よりも強力な存在を支配し、制御してみせる。

もしエメラルド色の彼らが、たった一匹ではなく、共通の使命を持つ同盟者とともに行動していたとしたら?

いったいどんなことが達成できるだろうか。自然界でも、デザインの世界でも、不可能なことなんて存在しないのだ。

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(追記:2021年2月6日)米国の企業は、社会の一員として行動するよう規制されるべきだ。善意に反する行動から利益を得た場合には罰せられるべきだ。しかし、それらはデザインの範囲を超えたシステムをめぐる課題であり、このブログ記事では直接的に取り上げていない。この省略について建設的なフィードバックをもらったため、言及したいと思い、追記した。

[文・翻訳]向晴香

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